2016年04月21日

憲法9条を支えたのは、技術力/領土侵略なき戦後日本の繁栄――永田町を離れて見えた憲法論(1)=吉竹幸則

 私は本欄でも何度か触れたように無駄な公共事業の典型・長良川河口堰の欺瞞を暴く当時の建設省の極秘資料を大量に入手しました。しかし、朝日新聞から理不尽に止められ、最後には記者職も剥奪され仕事が何もないブラ勤にされました。しかし、閑職に追いやられ取材の一線から離れると、忙しくしていたころには見えなかったものが、客観的に見えて来ることもあります。
 これまで本欄で政治記者時代の経験から違憲安保法制の危険性を書いてきました。これからしばらく、政治記者から地方に転勤したことで見えた「憲法9条」について書きたいと思います。やがて訪れる憲法改正の正念場。改憲、護憲…。お互いまなじりを吊り上げるだけでなく、永田町を遠く離れてこそ見えたブラ勤記者の憲法論も是非、何かの参考にして欲しいと思うからです。

 私は、海部俊樹氏の首相番などと政治記者をしていたのは、1990年の湾岸戦争の真っ最中でした。米国の要請でイラク攻撃のため自衛隊を派遣すべきか否か、この時も集団的自衛権が憲法上容認されているかが焦点でした。政権基盤の弱い海部政権はその狭間で右往左往、寝る暇もない毎日でした。
 それが一段落した1991年夏、「政治部でしたいことは」と政治部長から尋ねられ、私はもちろん名古屋社会部時代に社会部長から止められた河口堰報道の復活を訴えました。政治部長は東京・社会部長とも相談し、私の取材資料を検証。「十分、記事になる」との結論になり、私は政治部内政キャップと兼任での建設省(現国交省)担当。東京・社会部と合同で取材開始が合意され、いったんは記事が復活出来る目途が立ったように見えました。
 しかし、それもつかの間。よほど上層部からの強い圧力があったのでしょう。報道を止め続けた名古屋社会部長から「名古屋本社で止めた記事をどうして東京で復活させるのかと怒っている」と訳の分からない理由で、中止が決まったのです。

 東京の部長より格下の名古屋の部長の横やりが通じる。名古屋の部長のバックにはよほど強いバックがいたことは間違いありません。東京本社の廊下ですれ違った当時の東京社会部長は、私の顔を見ると、口にチャックのゼスチャーをして、「身のためだ」と一言言い残し、去って行きました。その頃すでに朝日は、社内の派閥力学により、報道以外の価値観を優先する組織になっていたのです。
 そんな訳で、報道中止まもなくの1992年正月、私は新設の豊田支局長に転勤になりました。それまで豊田は一人勤務の「通信局」。トヨタの隆盛もあり、二人勤務の「支局」に格上げし、人事の名目は、「トヨタとの関係もあり、初代支局長は政治部出身者がいい」ということでした。
 ただ、「支局」と名がついても、部下のはずのトヨタ担当の支局員は経済部員。支局長には何の指揮権もなく、支局長は従来の一人勤務の通信局長時代と実質何ら変わりありません。豊田地区の地方行政や事件を取材、地方版に細かな記事を書くのが日課でした。もちろん、政治部キャップから実質通信局への異動は、まず前例もありません。豊田支局は名古屋本社社会部の管轄。私を名古屋社会部長の監視下に置く。豊田地区の話しか書けないから、河口堰報道を蒸し返される心配もない…。部長の人事の狙いは、そんなところにあったのでしょう。

 しかし、「人生至るところ青山あり」です。情報源への朝駆け夜回りの連続で、睡眠時間は2−3時間もあればいい方だった生活から解放されただけではありません。私は豊田で、戦後の日本人は領土の拡張なしに、国の繁栄を実現させる人類史の中で類い稀な一つの実証をした。それが、人類の理想とも言える「9条」をこの国で定着させることにつながったのではないかと初めて気付いたのです。

 愛知県豊田市。言うまでもなく、トヨタ自動車のお膝元の街です。私は隣町の名古屋市に長く住んでいました。しかし、それまで豊田を訪れる機会がほとんどなく、赴任するまで、豊田は街中、トヨタとその下請けの工場の街だと、思い込んでいました。多分、この欄の読者の方々もそんなイメージで豊田を捉えられていると思います。
 しかし、豊田市市域は約920平方キロのうち、実は、工場・住宅のある市街化区域はわずか50平方キロ程度でしかありません。後の多くは農地や山林。赴任して初めて、「自然豊かな街」であることを実感したのです。人のいい市役所の人は、市内の農地で、特産の桃や梨などが実ると、宣伝も兼ね、記者クラブにも試食用に持ち込んでくれます。新鮮な果物を口に出来る「役得」もありました。
 一方、豊田市の統計によると、市域の5%ほどに過ぎない市街地の工場で造る自動車などの工業品出荷額は12兆円7000億円(2013年現在)に上ります。最近の為替相場で換算すると、1150億ドル余りです。少し統計の取り方は違いますが、世界全体のGNPは、77兆ドル程。世界1位の米国は、17兆ドル余りです。つまり、広大の米国の国土全体で生産する富の0.7%近くも地球上、豆粒にもならない自然豊かな豊田市一市で生産していることになります。

 今ではトヨタは、世界中で生産しています。でも、私が赴任した当時の豊田市はトヨタ工場が集中し、世界の中で今以上に、存在感を持っていました。この街から輸出されるトヨタ車は、米国の自動車市場を席巻する勢いがありました。
 もちろん、トヨタの隆盛にも光と影の部分があります。私は地域のそのように問題を地方版に丹念に書いて来たつもりですが、資源も少ないこの小さい国の経済を支え続けて来たトヨタを始めとした自動車産業の技術力は素直に評価してもいいと思いました。
 もちろん自動車産業だけではありません。今は元気を失くしたとはいえ、テレビなどの電子・電気産業も小さな国土の中で生産し、大きな富をこの国にもたらし、戦後復興の原動力になりました。
 半面、工場のある都市部への人口の集中は、戦後、過密過疎と言う問題をもたらしはしました。この国には今、多くの過疎地があります。しかし、このことも翻って考えてみれば、むしろこの国は「広い国土」を持て余している状態と言っても過言ではないのでしょう。

 太古から第2次世界大戦までの人類史は、領土の広さが国力を決める時代だったと言っていいでしょう。古くは、エジプトからローマ帝国、中国の元。英国も日本と同じ小さな島国ですが、世界に領土・植民地を拡げることで、国の富、国力を高めて来ました。ヨーロッパの美術館を巡ると、戦利品の展覧会さながらです。
 だから、海外に領土を広げる侵略戦争が横行。その陰で、侵略する側、される側を問わず、双方の兵士・民間人も争いに巻き込まれて傷つき、亡くなりました。権力者が戦果を誇り、英雄になる一方で、戦死者の家族を含め、多くの悲しみがつきまとったのが、人類史です。

 しかし、トヨタを始め、この国の企業は小さな土地に高い技術力を集約することによって、大きな富を生産。領土の広さに比例せずとも、大きな国力をもたらすことを、人類史の中で初めて立証したとも言えるのではないでしょうか。
 米国がプレゼントしてくれた憲法9条により、この国は軍事費を抑えることが出来ました。その分、焼け野原の中に工場などへ集中投資する余裕が生まれ、この国の今の繁栄があります。

 では、この国に平和・安寧と「侵略なき繁栄」をもたらした、「本当の担い手」とは誰だったのでしょうか?
 「霞が関の優秀な官僚が、この国を支えて来た」。これは、テレビでしたり顔で話す評論家などからもよく聞く話です。でも、利権まみれの霞が関を取材していて、私にはとてもそのようには思えませんでした。霞が関の官僚自身が流して来た神話・宣伝文句を、無批判な評論家が鵜呑みにして来た結果だと思います。

 私は豊田に来て、「繁栄の現場」を見つめるられたお陰で、本当にこの国を支えてきた人々をトヨタの工場の中で見つけることが出来たのです。中学を卒業した間もなく親元を離れ、貧しい農村から都会に出て来て、真面目に働き続けた「集団就職組」と言われる人たちです。
 戦後、ほとんどの工場が空襲で焼けました。「焼け跡闇市」と言われる混乱の中で、人々は希望を失い、立ち尽くしてもいました。でも、軍事費は抑えられ、その分、工場などへ集中投資する余裕がわずかずつでも生まれて来ました。
 工場が立ち始めても、この国は主力の働き手を戦場で失っています。経営者が労働の担い手として頼るのは、年端もいかない若者です。「金の卵」とまで言われ、 「15の春」で親元から離れ、遠く九州や東北・北海道からも集団就職して来たのです。トヨタやその関連工場に働く人に聞いても、そんな地域に故郷を持つ人が大勢いました。

 ご承知のようにトヨタの車は、一人の卓越した研究者・技術者の発明の成果によるものではありません。
 こんな若者たちが職場で真面目にコツコツと働き、職場の身近なところから一つ一つ創意工夫、作業手順の改善でコストを削減し、技術力も磨いてきました。その結果、世界有数の生産効率・技術力を実現、ついに自動車王国・米国を凌駕するに至ったのです。
 もちろん、トヨタもこうした当時の真面目な若者により担われた工場の一つに過ぎません。全国至るところにこんな若者がいて、工場があった。だからこそ、この国に「侵略なき繁栄」をもたらしたのです。

 今、当時の若者は、老人になりました。超高齢化社会の到来で、厄介者扱いもされています。しかし、この人たちは、戦後真面目に働き、この国の礎を築き、多くの富を蓄えました。本来、それで誰に気兼ねもなく、自分たちの老後資金を賄えると考えていたはずです。  しかし、官僚たちは、利権で繋がった政治家とともに、私が取材してきた長良川河口堰のように、ウソで固めて無駄な公共事業に多額の国民の血税を投入。大震災が起きた時ですら、救済のための資金がないにまで借金を膨らませ、この国を危機に追いやってしまいました。この人たちが「日本を支えて来た」とは、とんでもない誤解です。
 今、私たちが思い出すべきことは、「戦争はこりごり」と、戦後の貧しい中から立ち上がった思い・原点に立ち返ることではないでしょうか。そうすれば、「憲法9条」、「領土拡張なき繁栄」と言う、私たちが戦後築いた人類史の金字塔に思いが至り、「軍事大国」でない「日本の誇り」を取り戻せるはずです。
 世界史をもう一度、振り返ってみましょう。権力者たちは、自分たちの欲得で招いた失政で国が立ちいかなくなると、常に「外敵」を求めます。それで、国民の不満の目を自分たちからそらせることが常套手段であることも、すぐに分かるはずです。

 今の自民・安倍政権は、自民の長期政権時代の失政を棚に上げ、またも、途方もない借金を重ねて、公共事業の復活に躍起になっています。一方で、「自主独立」などと、戦後の歩みもまともに勉強していない一部の若者を煽り、憲法9条の改正を目論んでいるのではないでしょうか。
 しかし、お札を刷っての景気対策は誰にでも出来ても、長続きするはずもありません。次世代に借金を押し付けつつ、不満をそらすため、「外敵」を作り、若者を戦場に駆り出すのでは、「いつか来た道」です。

 せっかく9条で世界史に新しい地平を築き、それを誇りにすればいいものを、もう一度これまでの愚かな世界史の轍を踏むなら、あまりにも悲し過ぎます。私たちが前世代の苦労・努力も無にすることになるのではないか…。

 今、戦禍が絶えない世界に向かってこの国がやるべきことは、集団的自衛権を行使し、その一角に加わることではなく、憲法9条にもたらした「領土侵略なき日本の繁栄」の成果を粘り強く発信することではないでしょうか。私は豊田に赴任した経験からもそう思うしかないのです。

(フリージャーナリスト・元朝日新聞記者)


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posted by JCJ at 05:21 | TrackBack(0) | メディアウォッチ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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