大きな選挙の度に問題になるいわゆる「選挙報道」。今回は「改憲勢力3分の2に達する勢い」の報道が序盤と終盤に大手メディアがいっせいに報じたことで、「これじゃ無党派が選挙に行く気をなくす」「選挙はふたを開けるまで結果はわからない、競馬の予想屋みたいなマネはやめろ」などの声が、あちこちから出た。
当然の話だろう。
公職選挙法は、第138条の3(人気投票の公表の禁止)で、「何人も、選挙に関し、公職に就くべき者(衆議院比例代表選出議員又は参議院比例代表選出議員の選挙にあつては、政党その他の政治団体に係る公職に就くべき者又はその数)を予想する人気投票の経過又は結果を公表してはならない」としている。
(JCJふらっしゅ「ニュースの検証」=小鷲順造)
報道各社の「選挙報道」がこの規定に違反するのではないかとの指摘は、これまで再三にわたってなされてきた。しかし、その一方で、報道する側の論理、集計して発表する側の論理は、あからさまな誘導質問や選択項目の恣意的な絞込みなど一部の不公正な調査を除いて、まったく異なる構造をもっていて、記事の末尾などにつけられている「投票先未定なお4割」のような断り書きを見出しに掲げて丁寧に報じるケースは依然少ない。
また一方では、選挙日直前の「与党300議席獲得か」「与党圧勝の勢い」などの報道が、投票行動のゆり戻しを引き起こして野党に大量の票が流れ込み場合もある。たとえば読売新聞が「改憲勢力3分の2の勢い」と報じるのと、東京新聞や朝日新聞が同じように報じるのでは、報じる側の姿勢が明らかに違うのではないか、などと私も勝手な推測をすることもある。読売はバンドワゴン効果(有権者に優勢と報道された「勝ち馬」に乗ろうとさせること)を狙って、後者はアンダードッグ効果(有権者の「判官贔屓」や「劣勢挽回」の意欲を引き出すこと)を狙って、同時に来たか、など。
上記二つの効果をまとめてアナウンスメント効果と呼ばれているが、忘れてはならないのは、調査方法の有効性とそれを伝える分析記事の姿勢だろう。これは常に市民社会の厳しい監視のもとに置かれていないと、恣意性や手加減のようなものが「手違い」「間違い」を名目に紛れ込む可能性を秘めていることだ。そして厳格に行われた調査であり、かつ分析も的確に行われた場合でも、選挙結果と事前の調査結果が大きく乖離する場合もある、という事実だろう。
こうしたことから、私は日本のいわゆる「選挙報道」は、選挙民のためというより、選挙に関係する政党や支援団体、その他多方面にわたる利害関係者を対象にした、いわば「選挙専門紙」「選挙業界紙」のような役割を果たしているために、読者の側も報じる側も、長年の調査や報道の体質から抜け出せないのではないか、とも思っている。あるいは、日本社会そのものが、依然、選挙を知的な選択活動というより政(まつりごと)の高揚した感覚、賭けや競争をともなう行事としてとらえようとする習慣から脱しないでいるということなのだろうか。
選挙権の年齢も引き下げられたことである。私は日本の選挙報道は、旧来型の選挙の専門家や利害関係者向けの対象の狭い報道のありようをいいかげんに見直して、現実の市民社会への時代対応を急ぐべきだと思う。
▽「改憲4党」とは、自民、公明、おおさか維新の会、日本のこころを大切にする党
選挙終盤で各紙が「改憲4党」と大見出しで打ったように、明日の参院選は、結果によっては安倍政権は選挙後、「憲法改定」へと歩みを進めるからだ。安倍氏は、かねてから「改憲」の決意を表明してきたが、国民の反応は鈍い。世論調査では改憲に反対・慎重が圧倒している。しかし安倍政権は、獲得した議席をベースに、数の力で押し切るという姑息・卑怯なやり方で、分厚い壁を突破してきた。特定秘密保護法しかり、集団的自衛権行使容認の閣議決定の実現を日本の社会システムに組み込むための<安保関連法>しかり。
「改憲4党」とは、自民、公明両与党と、改憲に前向きなおおさか維新の会、日本のこころを大切にする党を指す。
東京新聞は6日付で「参院選終盤情勢 改憲4党で3分の2の可能性 投票先未定なお4割」の記事を出した(一方がバンドワゴン効果を狙って打てば、一報はアンダードッグ効果ねらって対抗するというような、メディア間の対抗の構図もあるのかもしれない)。
同紙の独自の取材に共同通信社が3〜5日に行った電話世論調査を加味して終盤情勢を分析したところ、「改憲四党」は、非改選と合わせ、改憲発議に必要な参院定数の3分の2以上となる78議席に届く可能性がある、という。また、非改選には改憲派の諸派・無所属議員もおり、これを加えるとさらに可能性は高まるとしており、自民は27年ぶりに参院で単独過半数を回復する57議席を超える情勢だという。
ただこれには但し書きがついている。
<ただ、世論調査では選挙区、比例代表とも40%以上が投票先について未定と答えており、今後情勢が変わる可能性がある>というわけだ。つまりこの記事は、選挙区、比例代表とも40%以上が投票先について未定と答えている段階だが、それを前提に調査結果をみると、<「改憲四党」は、非改選と合わせ、改憲発議に必要な参院定数の3分の2以上となる78議席に届く可能性がある>と読むことが必要となる。
この報道に喜ぶ人もがっかりする人もびっくりする人も、反応はさまざまだろうが、喜ぶ人がこの報道に気をよくして「これでバンドワゴン効果も働くだろう」と胡坐をかいていては勝利はおぼつかない。がっかりする人もこの報道に気を落として「アンダードッグ効果」が働くことをただ夢想していても勝利を呼び込むことはできない。
『パーソナル・インフルエンス――オピニオン・リーダーと人びとの意思決定』(培風館)でラザースフェルドらによる、メディアの影響と考えられているものについて、実はオピニオンリーダーなどの個人の態度や意見が大衆の意思決定に大きく影響しているとする仮説もある。投票行動などのウオッチから引き出した。マスコミュニケーション二段の流れとか、多段階の流れとか呼ばれるものだが、マスメディアによるキャンペーンなど直接的な働きかけよりも、対面的接触(家族・友人・仲間など)による意見のほうが投票行動などに影響力をもつとして重視する。
この説の信頼性云々の議論はともかく、大半の選挙民が明日の選挙日に投票を行うことになる。最後の一票が投じられるまで、事前の調査結果はあくまで調査の結果でしかない。投票締め切り後に、報道の「当たり外れ」が検証されることはあっても、報じ方がメディア自身によって深く議論されることはあまりない。ゆえに、こうした日本の選挙報道そのものへの有権者からの功罪、適否、ありようについての議論が深められる機会も皆無といわないが、ほとんどないといってよい。
特に今回の参院選では、党首討論に逃げ腰の安倍首相、争点から「改憲」を外して当面の選挙戦を有利に勝ち抜くことしか考えない視野の狭さ、自己保身だけを優先の、とうてい政治家とは思えない与党の姿勢が鮮明となった。それに隷従するように、今回の参院選について、日本の平和主義や民主主義、立憲主義などが重大な危機に立たされていること、破綻したアベノミクスについての検証や、安倍政権の粗雑な政治によって展望を見失っている日本の福祉社会の今後や貧富の格差・貧困の蔓延、ひろがる劣悪な労働環境などについて、その「政治のせい」である部分についての克明な検証などが行われた印象は、メディア全般を見た場合、濃いとはとうていいえない状況である。放送、なかでもNHKの選挙前の取り組みの消極さは著しかった。このことはきちんとメディアと政治の歴史に記録されねばならないだろう。
マスメディアが選挙前、選挙期間を通じて、厳密な方法で信頼にたる世論調査を行うのはよいだろう。しかし大事なのは、そこで浮かびあがった世論を、いかに掴み取って、記事や番組に反映するかである。いかに独自の争点として掘り下げ、打ち出すかである。ただ「動向」だけを追い、記事も番組も表層的で選挙ムードに流されたり、あるいは選挙報道自体を縮小して、調査で浮上した民意を掘り下げようとしなかったり、重要な争点を取り上げて国民的な議論に付すというメディアの果たすべき役割から逃走するような姿勢はなかったか。
マスメディアの萎縮・劣化が目立つ中、それを補うのは、やはり家族・友人・仲間などの対面的接触あるいはネット・ツールを駆使したパーソナル・コミュニケーションということに落ち着くのだろうか。
参院選終盤情勢 改憲4党で3分の2の可能性 投票先未定なお4割(東京新聞6日)
http://www.tokyo-np.co.jp/article/politics/list/201607/CK2016070602000133.html
日経・読売 捏造記事で世論誘導? 選挙情勢調査で無所属候補ら省いて質問(HUNTER(ハンター4日)
http://hunter-investigate.jp/news/2016/07/post-901.html
与党、改選過半数へ堅調…民進は苦戦続く(読売新聞5日)
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160705-00050108-yom-pol
参院選、改憲勢力3分の2迫る 自民単独過半数も視野 終盤情勢(日本経済新聞5日)
http://mx4.nikkei.com/?4_--_51097_--_1156140_--_1
http://www.tokyo-np.co.jp/article/politics/list/201607/CK2016070602000133.html
日経・読売 捏造記事で世論誘導? 選挙情勢調査で無所属候補ら省いて質問(HUNTER(ハンター4日)
http://hunter-investigate.jp/news/2016/07/post-901.html
与党、改選過半数へ堅調…民進は苦戦続く(読売新聞5日)
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160705-00050108-yom-pol
参院選、改憲勢力3分の2迫る 自民単独過半数も視野 終盤情勢(日本経済新聞5日)
http://mx4.nikkei.com/?4_--_51097_--_1156140_--_1
▽無党派層の比例区投票先、連続調査で民進が自民を上回る(朝日新聞)
参院選に向けた世論調査で、これは大事な数字・動きだと思った調査結果のなかから、二つ、紹介しておこう。
一つ目は、毎日新聞6月20日付「毎日新聞世論調査 アベノミクス「見直し」61% 内閣支持率7ポイント減」の記事。
6月18、19両日、全国世論調査を実施した結果、安倍内閣の不支持率は39%(6ポイント増)、支持率は42%(7ポイント減)。
安倍政権の経済政策「アベノミクス」を「見直すべきだ」という回答は61%にのぼり、「さらに進めるべきだ」は23%にとどまった。
記事は、以下を伝えている。
1)安倍晋三首相は22日公示の参院選でアベノミクスの成果を中心に訴えようとしている。内閣支持層ではアベノミクスを「さらに進めるべきだ」が50%、「見直すべきだ」が35%。これに対し、不支持層では「見直すべきだ」が89%を占めた。アベノミクスへの不満が支持率を押し下げたとみられる、としている。
2)消費税率10%への引き上げを2019年10月まで2年半延期することについては「賛成」61%、「反対」26%。首相が延期の理由を「世界経済が大きなリスクに直面している」と説明したことに対しては、「納得しない」が60%に上り、「納得する」は28%にとどまった。
内閣支持層では説明に「納得する」(45%)と「納得しない」(42%)が拮抗したが、不支持層では「納得しない」が84%に達したという。
記事は、<増税延期に賛成した人の54%は「納得しない」と答えており、首相の説明は不十分だという受け止めが多い>と指摘している。
また、消費税率引き上げで増える税収については、年金、子育て、介護など社会保障の充実策に使うことになっているが、増税延期によって充実が「難しくなったと思う」は53%、「難しくなったとは思わない」は35%だったという。
ここには、日本の財政危機と消費税率引き上げの必要性についての政府キャンペーンの浸透の度合いとその影響が克明に出ている。劣化し萎縮した日本の政治家と官僚の姿がそのまま如実に出ているともいえる現象だが、そこまで有権者に日本を「諦めさせる」状況が深刻なのか、蔓延しているのかと思う。その実態をこそ、メディアは大急ぎで取り上げ、自らの「日常」との乖離を埋める必要があるようにも思う。つまり、安倍自公政権のプロパガンダが浸透しやすい環境が、政治や政策の選択肢とは異なる現実の生活のなかで定着し、縮小せざるを得ない生活の実態と、逼迫する財政や消費税の必要のキャンペーンと、福祉社会の展望の可能性をメディアが混同させている可能性があるのではないか、と私は危惧する。
もう一つは、朝日新聞7月4日付<首相の経済政策「見直すべきだ」55% 連続世論調査>の記事だ。
朝日新聞社は2、3の両日、参院選(10日投開票)に向けた連続世論調査(電話)の3回目を実施。
1)安倍首相の経済政策について、「見直すべきだ」55%、「さらに進めるべきだ」28%。無党派層では「見直すべきだ」60%、「さらに進めるべきだ」16%。
2)参院選の結果、憲法改正に前向きな「改憲4党」の議席が参院全体で3分の2以上を「占めないほうがよい」41%、「占めたほうがよい」36%。
自民支持層では「占めないほうがよい」20%、「占めたほうがよい」59%。
無党派層では「占めないほうがよい」48%、「占めたほうがよい」22%。
3)参院選の改選議席121議席のうち、自公が過半数を「占めないほうがよい」35%、「占めたほうがよい」44%。
4)内閣不支持率36%(前回6月調査36%)、支持率41%(同45%)。
なお記事は、<調査では連続して、仮にいま投票するなら、比例区ではどの政党に投票したいと思うかを政党名を挙げて尋ね>ている。
第1回→第2回→第3回
自民39%→38%→35%
民進12%→15%→16%
公明7%→7%→7%
共産7%→6%→6%
おおさか維新の会6%→4%→7%
また記事は末尾で、無党派層の比例区投票先は自民14%、民進17%などとなり、連続調査で初めて民進が自民を上回った、と書いている。
毎日新聞世論調査 アベノミクス「見直し」61% 内閣支持率7ポイント減(毎日新聞6月20日)
http://mainichi.jp/articles/20160620/ddp/001/010/003000c
首相の経済政策「見直すべきだ」55% 連続世論調査(朝日新聞4日)
http://www.asahi.com/articles/ASJ735171J73UZPS007.html
http://mainichi.jp/articles/20160620/ddp/001/010/003000c
首相の経済政策「見直すべきだ」55% 連続世論調査(朝日新聞4日)
http://www.asahi.com/articles/ASJ735171J73UZPS007.html
▽幸い、右翼カルトではない政党は、広範な市民の「野党は共闘!」の声に呼応して連帯している。
WEB第三文明が6月27日、「安保法制の議論 国際協調主義を忘れている」と題して、第三文明6月号の記事をブロゴスに載せた。小見出しとして「違憲の根拠は示されていない」「『立憲主義に反する』の違和感」「国会議員の責任を放棄した野党」「『国際協調主義』の視点」を掲げる記事だった。
http://blogos.com/article/181085/
私はその感想を次のようにツイートした。
――このような詭弁を弄しながら、自らが詭弁に陥っていることに気づかない。あるいは無視する。創価学会系言論の深刻な誤謬と劣化を危惧する。――
そしてその翌日あたりからは、1988年に出された創価学会婦人部編『まんが・わたしたちの平和憲法』(第三文明社)がネット上で話題となり、広く拡散された。私のツイッターなどをみてくれている人は、ほぼリアルタイムでその動きをつかんでくれていたと思う。
実に優れた内容のマンガで、「どうして世界一の平和憲法を変えてしまったんだっ、大人たちはいったい何をやってるんだーっ」「憲法くらい変わったって、たいして生活は変わらないと思って…」という親子の会話が、見事に安倍自公政権がすすめてきた「集団的自衛権行使容認の閣議決定」、それを具体的に可能とする「安保法制群」、そして憲法改定を「緊急事態条項」の創設からと息巻く自民党の姿を、予見し警鐘を鳴らしている。
日刊ゲンダイはネット上のこうした動きをうけて、6月30日付ですばやく<安倍政権に酷似と話題 28年前出版「憲法マンガ」の中身>と題した記事を出した。
http://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/184595
書き出しは、<参院選で与党が3分の2以上の議席を確保する可能性――との報道各社の序盤調査を受け、いよいよ改憲に対する“本音”を隠し切れなくなってきた安倍政権。安倍首相はネット番組で、秋の臨時国会で改正条文について議論する考えを表明。安保法制に続き、9条改憲となれば「戦争」まっしぐらだが、そんな今の安倍暴政の姿とソックリのマンガが話題となっている。1988年に出版された「まんが・わたしたちの平和憲法」だ>。
記事は続いて、次のように内容を紹介してゆく。
――創価学会婦人部平和委員会の編さんで「第三文明社」が出版。第6章「守ろう 憲法のこころ」は、高校の卒業旅行に出かけた少年2人が1年後に帰国すると、憲法9条が改正され、日本が戦争を始めていた、というストーリーだ。そこには「平和憲法をなぜ変えてしまったんだーっ」と憤る少年に対し、母親がこう答える場面が出てくる。
〈ごめんよ 憲法ぐらい変わっても生活はたいして変わらないと思ってね〉〈だって新聞やテレビですごく宣伝してたのよ〉〈そしてすぐに選挙があったの 憲法改正の意味も分からないままに投票しちゃったのよ〉――
創価学会の平和主義が、ここにしっかりと具体的に、未来を見通すかたちで表現されているように思う。マンガは以下などでみることができる。
・【創価学会の方必見!】28年前の創価学会婦人部編のマンガが今の日本の状況とそっくりと話題に!
http://goo.gl/2UagHq
・自公は平和憲法を捨てた。……28年前の創価学会婦人部編『まんが・わたしたちの平和憲法』に書かれた戦争へのシナリオが今の状況とそっくり
http://seoul-life.blog.jp/archives/62149212.html
・「マンガ『改憲に賛成しちゃった』ロングヴァージョン」(YOUTUBE)
https://www.youtube.com/watch?v=v0MWAR-EY2w&sns=em
ぜひご覧いただきたい。
公明政治連盟を改組して公明党ができたのは1964年。創価学会が日蓮正宗大石寺に正本堂を建立するため4日間の供養を行い355億円が集まったとされるのが1965年。創価学会・公明党が藤原弘達『創価学会を斬る』の出版を妨害する事件を起こしたのは1969年。池田氏がこの「言論出版妨害事件」を公式に謝罪して創価学会と公明党の組織分離など改革を表明したのが1970年。
創価大学の開学は1971年。共産党との向こう10年間の「相互不干渉」「共存」をうたった「創共協定」締結が1974年(この動きの中で宮本顕治共産党委員長と池田大作創価学会会長が複数回トップ対談)。協定は翌75年7月に公表されたが、公明党の反発をうけて死文化した。「創価学会インタナショナル」(SGI)設立、池田氏が会長に就任したのも1975年。
創価学会が日蓮正宗から破門されたのは1991年このことだった。創価学会が独自路線を強めながら、迷走し始める。自民党からのアメとムチ攻撃にさらされ、“創価学会を守るため”を名目に自民党政権への追従を深め、自公連立政権が1999年に始まった。そして2009年の政権交代による自民党の没落と公明党の惨敗を経験、さらに政権復帰にむけた自民党の右翼カルト路線の強化とそれへの追従か別離かをめぐる内部分裂を経て、創価学会はいま、宗門との決別よりもはるかに深刻な存亡の危機に立っている。
池田氏は「日本の政治は将来、公明党と共産党が主軸となってゆく」旨、話していたが、それは見事に地方議員(市区町村議会議員)の数にあらわれている。1位共産党、2位公明党、3位自民党、4位民主党などの順となっている。公明党や共産党が、どれだけ庶民の立場に立って、ともに生活を支え、地域をささえてきたかを思う。
しかしいま、創価学会のパワーには深刻なかげりが見える。
創価学会内部からも幹部・中堅幹部の驕りや堕落の指摘が聞こえてくる。国内より海外の友人たちからもたらされる、創価学会の活躍や広がりについての評価のほうがはるかに高い。その要因として考えられるのが、創価学会内部の次期会長の人選もからんだ勢力争いだ(人間社会のことだから、当然といえば当然おこることなのだが、本当だとしたら情けないことだ)。
概括すると、自民党―公明党―創価学会の流派と、創価大学―創価学会―公明党の流派との明確な路線の違いが、創価学会の末端にまで及ぶ混乱を引き起こしているようだ(そこには東大派閥と創価大学派閥の主導件争いがあるとの指摘も出ている/後者が池田氏の平和主義を引き継ぐが、年初の人事で劣勢が決定的になったとの情報もある)。さらに私流に整理すると、前者は、自民党とも積極的に組んで幸福をつかむ力を前面に押し出すセレブ派、後者は平和主義と庶民の幸福を最も大切にする庶民派・生活派だ。
その前者が、安倍自公政権の存続・推進派であり、戦前回帰の右翼カルト政治を実現しようとする日本会議をバックとした安倍自民党の影響力を、自ら公明党や創価学会に呼び込み、自らの基盤の安定をはかろうとする勢力として動いていることが危惧される。創価学会の理念や運動よりも、ある意味、エスタブリッシュされた創価学会を上から支配する階層として生き残ろうとする、誤った現世利益の発想で動く利権集団の姿しかみえてこない。もはや宗教団体の幹部とはいえない姿だが、そうした情報から、一部幹部による創価学会の私物化が進行しているのではないか、と疑いたくなる状況だ。
安倍自公政権によって、日本の平和主義が危機に追い込まれている。かつてなら真っ先に立ち上がるべき創価学会が、上からの圧力で、一部を除いて立ち上がれない。組織内部には混乱と迷いが渦巻いているという。当然であろう。このまま創価学会が、安倍自公政権の暴走をだまって放置してしまえば、日本社会は最悪の時代へと逆戻りする。その逆戻りはすでに始まっていて、ここで止めなければ、いったい何のために戦後これまでの創価学会の苦闘と建設があったのか。
創価学会は、その価値を台無しにする渦の只中にいる。「破壊は一瞬、建設は死闘」、池田氏の言葉だ。創価学会員は、いまこそこの言葉を思い起こすべきときではないのか。立ち上がりたい、声をあげたい、公明党以外の政党に一票入れたい、などの動きを、組織内部の論理で封じ込めるようなことがあれば、それは創価学会の内部の問題としてだけでなく、社会的な問題となって跳ね返る可能性も出てこよう。まして創価学会は宗教団体である。宗教的な内部統制の論理を用いて、そのような事態を引き起こすことがあれば、まさにそれこそ“創価学会を守る”ことと逆行することになるのではないか。
10日の選挙日を目前に、1988年に出された創価学会婦人部編『まんが・わたしたちの平和憲法』(第三文明社)が、ネット上で話題になるのも当然の話なのだろうと思う。いま最も存続の危機にあるのは創価学会である。その名前や外見は残るにしても、時々刻々、右翼カルトの日本会議との融合がはかられていくことになることは、もはや明白になろうとしている。これは同会にとって、日蓮正宗からの破門事件よりもはるかに深刻な危機となる可能性がある。
この危機をどう乗り越えるのか。
創価学会の理念の危機は、そのまま日本の平和主義の危機である。そのような自覚が広がらないほどに、組織内のプロパガンダや締め付けが徹底しているとでもいうのだろうか。
私は、創価学会が、安倍右翼カルト政権やそれに隷従する公明党と心中する必要は微塵もないと思っている。それどころか、支持母体である創価学会こそ、本来、手綱を締め、公明党の迷走・彷徨をやめさせるべきときではないのか。創価学会はそのリーダーシップをとることを躊躇しているときではないはずだ。
日本社会はとうに自民一強の時代を卒業している。まして右翼カルト化して時代の逆行をめざす自民党など、なんの価値もなくなっている。私はそう思っている。いまの日本の政治状況は、本格的に次の時代をむかえるための踊り場にすぎない。
幸い、いま日本の政党、つまり右翼カルトではない政党は、広範な市民の「野党は共闘!」の声に呼応して、連帯している。はっきりとした受け皿がある。私は10日の選挙は、日本国憲法の破壊へと続く道ではなく、日本の平和主義と民主主義をさらに日本の大地に奥深く根づかせるための最大のチャンスだと思っている。
創価学会・共産党、創価学会・生活の党、創価学会・社民党、創価学会・民進党。どれもいいではないか、どんどんやるべきだと私は思っている。創価学会はさらなる発展のためにも、自らの存在をさらに社会に開くときをむかえているように思えてならない。
(こわし・じゅんぞう/日本ジャーナリスト会議会員)