2016年10月04日

ジャーナリストの魂 むのたけじさんを偲ぶ=鎌田 慧

 「反骨のジャーナリスト」と新聞は、筆を揃えて書いた。むのたけじの一生を、自分のいまいる場所を見定める座標軸、として考えているジャーナリストが多かったのだ。  一○一歳まで、書き、語り続けたのは、「戦争を絶滅させる」という信念からだった。むのさんが顔をだした最後の集会は、5月3日、東京・有明の臨海防災公園でひらかれた「憲法集会」だった。  このとき、息子の大策さんの押す車いすで登壇したむのさんは、鐘も割れるような大音声で、右手に握ったマイクを振りながら、5万の参加者にむかって語り続けた。
 その集会に参加し、その熱意を受け止めた人たち、あるいは参加しなかったものの、インターネットテレビの映像でみたひとたちの胸に、鮮やかな残像を刻んで、 「反戦の魂」むのたけじはこの世を去った。

 「私はジャーナリストとして、戦争を国内でも海外でも経験した。相手を殺さなければ、こちらが死んでしまう。本能に導かれるように道徳観が崩れる。だから戦争があると、女性に乱暴したり物を盗んだり、証拠を消すために火を付けたりする、これが戦場で戦う兵士の姿だ。こういった戦争によって社会正義が実現できるか。人間の幸福は実現できるか。戦争は決して許されない」
 むのたけじの演説は、百歳を過ぎてなお、メモもなく、1時間以上、立ったままで行われていた。この強靱な体力と精神力は、ジャーナリストの魂そのものだった。

 朝日新聞の本社社屋にいて、敗戦を告げる天皇のラジオ放送を聞いた彼は、新聞社の戦争責任について問題提起した。だれも応えられなかった。その絶望感が退社させた。
 故郷の秋田に帰って、徒手空拳、ちいさな新聞をはじめたのが、むの流の希望の実現でもあった。題字の「たいまつ」に、新聞の任務への期待がこめられている。  地域に民主主義を確立させ、戦争をさせない新聞をつくる。その創刊号に、そのころ、社会の民主主義的機運を表現して、流行作家になっていた恩師・石坂洋次郎の原稿を掲げての出発だった。
 保守的な東北の町での、家族による新聞発行は生やさしいものではなく、自殺さえ考えるほどだった。
 その苦難と大新聞にいてスター記者にならなかった反骨が、民衆の姿を見つめるリアリズムを鍛えさせ、前代未聞、百歳のジャーナリストを誕生させた。

 亡くなる前、報道現場での自己規制を口を極めて批判していたのは、ジャーナリスト一人一人の自己規制が、ついには戦争を導いた、とする自己批判があったからだ。
(ルポライター)


*JCJ月刊機関紙「ジャーナリスト」(2016年9月25日号)

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