2016年12月12日

「土人」発言 沖縄の基地偏在を無視/「どっちもどっち」は差別放置/傍観は傲慢かつ怠惰=石橋 学

 どうにかしてそれが差別だと認めたくない人たちがいる。いや、私たちがいる。大阪府警の機動隊員による「土人」発言を擁護する言説の数々である。「職務は一生懸命」(松井一郎大阪府知事)、「差別かどうか断定できない」(鶴保庸介沖縄北方相)。最たるものが「抗議している側もひどいことを言っている」。この「どっちもどっち」論がもっともらしく聞こえるのなら、それが差別主義者の物言いとまったく同じだということに気付かねばならない。

◆マイノリティーへの言葉の暴力

 私はヘイトスピーチの現場に足を運んできた。批判記事を書く。翌朝、社の電話が鳴る。「朝鮮人が差別されるには、理由がある。それを書かないのは一方的だ」。差別する側に理など一分もない。信じている理由もデマだ。そう返しても耳を貸そうとはしない。
 打ち明ければ、私にも「どっちもどっち」と思う瞬間があった。川崎市に初めてヘイトデモの一団が押しかけてきた2013年5月、抗議に駆け付けた市民で埋まった沿道に「ヘイト豚死ね」と書かれた横断幕が目にとまった。人種差別団体「在日特権を許さない市民の会」の当時会長、桜井誠を指したものだった。「さすがに死ねは言いすぎでは」とカウンター市民に問うと「連中はマイノリティーに対して死ね、殺せと言っている。それを批判せず、日本人同士のののしり合いを問題視するとは、どうかしている」。言葉による暴力は誰から誰に向けられているのか。多数者と少数者という力関係を前提にした差別の構図が見えていなかった。
 もっと言おう。私は見て見ぬふりがしたかったのだ。下手に触れれば、在特会の連中が会社に押しかけ、面倒なことになる。だから書かない理由を探していた。へ理屈をこね、正面から向き合うのを避けていた。

◆中立・公正という「隠れみの」

 「土人」発言を擁護する心理を重ね合わせてみる。沖縄への差別の存在を認めれば、差別の結果である基地偏在の解消に取り組まねばならず、そうなれば「本土」が負担を引き受けることになり、やっかいな問題が降りかかってくる──。中立を装う欺瞞と暴力性が浮かび上がる。ヘリパッド建設の強行と抗議活動の排除はそうして正当化され、発言の根っこにある沖縄への差別は放置されたままだ。
 メディアに中立・公正を求める風潮はいよいよ強まる。それが都合の悪いことは書くなという政治権力の圧力に屈することになるにもかかわらず、批判を回避するため中立・公正という隠れみのに逃げ込む。権力によりつくりだされ、温存・利用されてきた差別を真っ先に指摘し、否定すべき筆はいきおい弱まる。
 差別をなくすには、なくす側に立たねばならぬ。積極的に傍観するという傲慢と怠惰、それをなせるわが心の内の差別と向き合うことから始めなければならないとしても、である。
(神奈川新聞記者)


*JCJ月刊機関紙「ジャーナリスト」2016年11月25日号


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posted by JCJ at 17:44 | TrackBack(0) | メディアウォッチ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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