2017年05月02日

戦後は「忘却の平和主義」/憲法9条の講座で朝日・上丸記者=須貝道雄

 戦後日本の平和主義は、戦争を忘れる「忘却の平和主義」だったのではないか――3月26日、東京で開いたJCJジャーナリスト講座「憲法9条を取材する」。朝日新聞で「新聞と9条」 の連載を担当し、『新聞と憲法9条―「自衛」という難題』を著した講師の上丸洋一記者は、戦争責任があいまいにされた戦後を語った。  アジア侵略の実態をジャーナリズムは十分に検証せず、無関心だった。元兵士も元従軍記者も沈黙した。その結果「旧日本軍のイデオロギーが社会の底で連綿として生き残り続けてきた」と 見る。
衆院が排除決議
 旧軍イデオロギーを代表する組織が右派団体の日本会議だ。冒頭で上丸記者はホットな憲法問題として森友学園を取り上げた。
 幼稚園児に戦前の教育勅語を「朕おもうに……」と唱和させ、「安倍首相、がんばれ」と叫ばせる映像がテレビで繰り返し流れた。学園理事長(後に辞任)は日本会議の関係者。この映像の 衝撃は大きく、「日本会議は何を考え、あの人たちはどんな思想なのか。視覚化されて、人々の目に触れた事件」と指摘した。
 教育勅語は「天皇のために命をすすんで捧げる人間になれ」が核心。衆院は1948年、同勅語排除の決議をした。新憲法98条(憲法違反の法律は無効)の本旨に従ってという文言がつい た。その勅語の唱和に首相夫人が共感し、森友学園が計画する小学校の名誉校長に就いた。「これだけでアウトだ」と強調する。
 続いて戦後の平和主義をたどった。敗戦後の新聞記事を読むと「何で負けたのか」「何で勝てなかったか」などの議論が中心で、他国へ攻め込んだことへの反省はほとんど見られないという 。
「水に流す」社説
 新聞・テレビが旧日本軍による被害者の存在に驚いたのは1971年、昭和天皇の訪欧時だったと上丸記者は語る。植樹した木が切られたり、水入りボトルが投げられたりと、天皇に反発す る直接行動が相次いだ。マレー半島やインドネシアなどで旧日本軍により被害を受け、戦争を忘れていない欧州の人たちが数多くいた。
 それに対し、日本の新聞が社説で共通に使った言葉は「水に流す」だった。まだ欧州の人たちは水に流していないのか、もう水に流してよい話ではないか……。彼我の意識の差が浮き彫りに なった。
 アジアで旧日本軍は何をしたか。朝日新聞記者だった本多勝一氏は1971年に「中国の旅」を新聞に長期連載し、日本軍に傷つけられた人たちを取材した。上丸記者によれば、アジアの戦 争被害を追った長期連載はこれが最初で最後ではないかという。
自衛隊後に変化
 戦争を忘れることに力を注いだ平和主義。その中で憲法9条は「くねった道」を歩む。50年に朝鮮戦争が起き、警察予備隊がつくられ日本の再軍備が始まる。51年の世論調査(毎日新聞 )では、再軍備に賛成が76%で、反対の12%を大きく上回った。読売新聞の52年調査では憲法改正に賛成が47%、反対が17%。憲法9条をそのまま受け入れる雰囲気はなかった。
 大きく変わるのは自衛隊の発足(54年)。憲法9条の支持が高まり、大半の新聞も9条擁護に変わる。丸腰・無防備の憲法9条という理解よりも、「そこそこのもの(武力)を持ったうえ 、同時に憲法9条も持つ」という方向が支持されたと読み解く。9条の「歯止め」の役割に期待が集まったのだろう。その期待は今も強く存在すると、講座を聴きながら思った。

*JCJ月刊機関紙「ジャーナリスト」2016年4月25日号


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