2017年08月30日

《スポーツコラム》創設する日本版NCAA、難問山積=大野晃

 8月は大学体育会やサークルの夏合宿が盛んに行われ、高原などが若い熱気に包まれた。
 歴史的に、日本スポーツをけん引してきた大学スポーツだが、近年はプロ化の急進展で、プロ競技者にトップの座を譲り学生競技者の影は薄くなった。古くから企業チームに大学チームが対抗して日本一を争ってきたラグビーも、今年度から日本選手権に大学の参加枠はなくなった。大学体育会出身者が多くを占めるとはいえ、集団球技の日本一はプロと企業チームが争うのが当たり前になった。五輪代表も大学生は少ない。大学スポーツの沈滞が顕著である。

 そこで文科省は、今春「大学スポーツ振興に関する検討会議の最終とりまとめ」を発表し、新たな大学スポーツ振興策を提示した。米国の全米大学競技協会(NCAA)をお手本に組織、人材の養成や民間資金調達などを検討し、来年度中に産官学連携の日本版NCAA創設を目指すという。
 アメリカン・フットボールやバスケットなどでテレビ放映権料を軸に年間1000億円の収入があるというNCAAの潤沢な資金にあこがれ、企業スポンサーに期待して全国の組織を改編し、儲けながら日本スポーツを支える大学に変えようというのだ。
 大学はスポーツの研究や指導法、人材の育成などで貢献してきたが、今後はトップだけでなく、積極的に地域や学校の指導に乗り出して施設開放などにより地域貢献も目指すべきで、スポーツ団体役員の養成も不可欠としている。

 現実にはOBやOGの指導、支援に頼る大学がほとんどで先細りが目立つ中、机上論で国の施策とは思えないとの批判も多い。野球やラグビーなどの大衆人気が落ちているから、企業スポンサーに頼れるかは疑問だ。
しかも、体育会やサークルは課外活動と位置付けられ学生の主体的な運営で継続されてきた歴史がある。
 変わってきているとはいえ体育会では伝統が重視され、各校、各部で色彩が違う。伝統校の中にはプロ予備軍や企業支援を拒否した自負もある。同時に、閉鎖的で封建的な体質が色濃く残り、大学当局とのあつれきも少なくなかった。
 競技間格差も大きい。同一歩調をとるには難問続出だろう。米国とは歴史が異なるのだ。
 何よりも、学生の主体性が尊重されねばなるまい。大学当局や企業スポンサーの成果主義が、自由で自主的な運営への管理圧力になって学生の創意的な姿勢を阻害する恐れがある。自主的な努力により、古い体質からの脱却が求められるだけになおさらだ。大学の社会貢献は必要だが、効率重視で上からの改編を急ぐべきではない。(スポーツジャーナリスト)
posted by JCJ at 14:21 | Editorial&Column | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする