2017年09月26日

≪リレー時評≫核への「知性」と「狂気」 どちらを取るかは明らか=吉原 功(JCJ代表委員)

 8月末から9月にかけて、長崎の反核平和運動の巨星お二人が相次いで亡くなられた。谷口稜曄さんと土山秀夫さんである。もう一人の巨星山口仙二さんはつとに2013年7月に他界されている。
 山口さんは、14歳のとき、学徒動員で防空壕を掘る作業中に被爆、全身に大やけどを負い、顔から胸にかけて残ったケロイドに苦しんだ。1982年の国連での「ノーモア ウォー、ノーモア ヒバクシャ」演説は多くの人びとの心を揺さぶった。

 谷口さんは、16歳で自転車にのり郵便配達中に被爆、背中と左腕に原爆の熱戦を浴びながら生き延びる。山口さんとともに重い原爆症に苦しみながら、被爆者運動の中心として活躍した。海外にも出かけ核廃絶を訴えたが、背中を椅子にもたれさせることは出来ないので飛行機での移動は難行のようだったと多くの人が証言している。
 土山さんは、20歳の医学生として原爆投下の翌日から救護活動に参加。「あの日の町に漂っていた死臭を伝えることは出来ない」と何度も語っていた。80年代のなかごろお話を伺ったが核問題についての造詣の深さにくわえて国際的な知見が非常に深く豊だったことに驚いた。山口さん、谷口さんが実践的運動を主導し、土山さんは理論的支柱として活躍したといえよう。長崎大学医学部長、学長を歴任したほか、20年にわたり長崎平和宣言文起草委員を務め、「北東アジア非核地帯構想」や「核兵器禁止条約締結」などを盛り込むことに貢献した。

 この三人の努力をはじめとする反核平和の粘り強い運動は、世界に広がり、今夏ついに核兵器を違法とする核兵器禁止条約を国連で採択させた。田上長崎市長は平和宣言でこの条約を「ヒロシマ・ナガサキ条約」と呼びたいと大歓迎、推進した国々、国連、NGOなどの「強い意思と勇気ある行動」に感謝を述べる一方、「条約の交渉会議にさえ参加しない」日本政府に対し「被爆地は到底理解できない」と批判した。
 広島・長崎への原爆投下は間違いなく人類史の一画期である。知性ある人ならば核開発は人類滅亡への道ということを理解したはずだ。だが核兵器は拡大し続け、「平和利用」でもチェルノブイリ・福島を経験してしまった。核のボタンを押しかねない人物が政治指導者になっているのが現代世界だ。知性と狂気、どちらを取るべきか明らかであろう。
JCJ機関紙「ジャーナリスト」9月25日号より


posted by JCJ at 10:32 | Editorial&Column | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする