2018年02月08日

ICANのノーベル賞受賞と被爆者運動への目─第五福竜丸展示館を訪ねて=木下壽國(ライター)

 国連での核兵器禁止条約の採択に尽力した国際NGO「核兵器廃絶国際キャンペーン(ICAN)」が昨年、ノーベル平和賞を受賞した。メディアはこぞって、このニュースを大きく取り上げた。
 メディアが受賞に沸き立つ中、私は何十年ぶりかで東京都江東区の夢の島にある第五福竜丸展示館を訪れた。核兵器問題についてささやかながらも自分自身でなにかを感じてみたいと思ったからだ。訪ねたのは平日で、閉館時間に近かったこともあり、展示を見ている人は少なかった。

 館内では特別展<この船を描こう>というイベントをやっていて、小中学生の描いた第五福竜丸の絵がたくさん展示されていた。それを見た私はちょっとした感動を覚えた。船の姿をそのまま描いているのだろうと半ば見下していたのだが、なかなかどうして。想像力が豊かなのだ。
 中学2年生による「朝日を告げる福竜丸」などは、海をドーッ、ドーッと流れる川のように表現し、ちょっとした迫力を与える。そのほかの作品もそれぞれの想像力の中に船を自由に遊ばせていた。
 第五福竜丸の船体に沿って左回りに歩みを進めていくと、水爆ブラボー実験で汚染された太平洋の海域を赤丸などで表示するパネルがあった。一瞥して、改めて汚染地域の広さとひどさに驚いた。
 放射能は、日本列島の太平洋岸からパプアニューギニアあたりに至る広範な海域を汚染していたのだ。パネルは「ブラボー実験は太平洋の広い海域を汚染した。被害は第五福竜丸だけではなかった」と伝えている。これは私が以前、訪ねたときにはなかったはずだ。その後の核兵器廃絶運動の中で明らかにされてきたものだろう。
 さらにその隣では、第五福竜丸が被災してからの一連の報道写真などを掲示していた。説明文を目で追いながら、悲しみにゆがむ乗組員の遺族たちの顔を眺めていたら、ふと目頭が熱くなった。意外だった。こんなところで涙ぐむとは思っていなかった。
 私だって、ざっくりとした知識は持っていたのだから。私を思いのほか熱くさせたのは、やはり水爆実験の生き証人である第五福竜丸と、その背後にいる広範な人々の核兵器廃絶への願いがもたらす力だったのだろう。そういえば館内には「第五福竜丸は生きている」とのノボリもかけられていた。

 ICANがノーベル平和賞を受賞したのも、核兵器の悲惨さを身をもって伝えてきた被爆者の存在があったからこそだろう。彼らは、自らの過酷な体験を一人の痛苦の体験から核兵器廃絶という普遍的な訴えに転化させてきた。そこに世界の強い共感も寄せられたのだと信じている。
 私たちが心すべきことは、核兵器をめぐる関心をノーベル賞受賞だけで終わらせてはならないということだ。メディアの報道もICANの平和賞受賞だけで終わってしまったとしたら、あの騒ぎは一体何だったのだろうということにはならないか。まもなく「3・1ビキニデー」がある。夏には原水禁大会も。各メディアはそれらをどう報じるのか、あるいは報じないのか。そこに注目している。
posted by JCJ at 10:37 | Editorial&Column | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする