■今週は、沖縄・辺野古埋め立ての是非を問う県民投票、東京・半蔵門の国立劇場で開催の「天皇在位30年記念式典」、さらには27日からベトナム・ハノイで始まる米朝首脳会談、そして韓国・ソウルや北朝鮮・平壌での「三・一独立運動100周年記念」行事の共同開催など、あわただしい内外の動きに目が離せない。
■とりわけ「三・一独立運動」の内容など知らず、日本とは関係ないと思っている人々が多い。とんでもない。ちょうど100年前の1919年3月1日、朝鮮の学生や民衆5千人が、日本の植民地支配からの独立を目指し、京城のパゴダ公園に集まり「朝鮮独立万歳」を叫んだ。さらに動きは全土へと拡がるに及んで、日本の朝鮮総督府は武力を行使して弾圧、死者6千人・逮捕者5万人の悲劇を生みだしたのである。
■「三・一独立運動」の1カ月前、1919年2月8日、 東京でも朝鮮からの留学生たちが、当時にして30年ぶりの大雪に見舞われるなか、東京西神田小川町の朝鮮YMCA会館に集まり、早稲田大学学生だった李光洙(当時26歳)が起草した<朝鮮青年団独立宣言>を採択し、日本政府・各国大使館・朝鮮総督府などへ送付している。
■だが「朝鮮独立」はかなわず、その後も日本の植民地支配は1945年まで続いた。さらに5年後には朝鮮戦争が勃発し、朝鮮半島の分断は150年に及ぶ。
■こうした歴史に翻弄されてきた韓国・北朝鮮の両国が、27日からの米朝会談によって朝鮮戦争の終戦宣言など、朝鮮半島の統一した平和づくりに向けて、新たな地平に踏み出す道が切り拓かれようとしている。
■ひるがえって日本は、どうか。いまだ朝鮮に対する植民地支配や慰安婦・徴用工問題など、侵略の被害にあった朝鮮の人々への心のこもった深い謝罪や清算をしていない。いっそう日韓関係は悪化する中で、安倍政権は「明治150年」を礼賛するだけで、東北アジアの平和構築に背を向けている。(2019/2/24)