2019年02月28日

【メディアウォッチ】宮古新報労組・伊佐次郎委員長が寄稿「新日刊紙」2月スタート 解雇拒否の社員一丸で発行継続

 今年1月10日、沖縄県宮古島市で日刊新聞を発行していた宮古新報社の座喜味弘二社長が全社員に解雇を通知した。解雇通知書には「業績不振により赤字経営が続いていたところ、資金繰りの目途が絶たなく事業閉鎖のやむなきに至った」とあったが、長年のパワハラやセクハラを続けていた座喜味社長に退任を迫った社員への報復だった。突然の解雇通知であり、「このまま解雇を受け入れるのか」、あるいは「受け入れず新聞発行を続けるのか」の選択を迫られた。動揺と不安が押し寄せるなか選択したのは新聞発行を続けることだった。残った社員10人は8・10ページから4ページの紙面縮小で発行。発行を続けるということは考えていた以上に大変なことだったが、社員一丸となって挑んだ新聞発行が2月1日からの新しい経営者の下でのスタートにつながった。

 解雇通知を受けた日は朝早くから取材があり、会社には午前10時頃に出勤した。座喜味社長ではなく事務員から解雇通知書を受け取った。前日に代理人の弁護士から口頭で「あす通知書を出す」と聞いてはいたが、実際に手にしたときは「本当にきたんだ」という感じだった。

地域の使命果たす
 実は弁護士が口頭で通知した後、(組合員の社員は)話し合いを持ち、その日の結論は解雇通知を受け入れることだった。昨年11月2日に座喜味社長に退任を迫り、その後の会議の連続で臨んだ団体交渉に顔を見せない座喜味社長に代わり出席した弁護士ののらりくらりの対応や年末に「事業譲渡の交渉を行っている」と言っておきながら突然の解雇通知のダメージは大きく、あきらめムードが漂った。

 9日の夜には緊急会議が持たれた。スカイプで宮古新報労働組合執行部4人と宮古連絡会、沖縄県マスコミ労働組合協議会、日本新聞労働組合連合(新聞労連)を交え、今後の対応をどうするかで話し合った。「解雇通知を受け入れるか」、それとも「受け入れず、新聞発行を続けていく」の二つの選択を迫られた。時間がない中で答えを出さなくてはいけないという難しさがあり答えは割れた。
 その中、東京で新聞労連が10日に緊急会見を行うことを決定。答えが見つからないまま時間が流れるなか「大事なことは当事者がどうしたいのか」の問い掛けが気持ちに刺さった。「そうだ。自分たちに投げかけられている問題であり生活が掛かっている。なにより創刊51年、『地域に根ざし、地域とともに歩む新聞としての使命を果たす』という理念のもと新聞を発行してきた。社長の独断で新聞発行を止めることは出来ない。宮古新報の新聞を待っている読者のためにも作り続けていきたい」。
 そんな思いが割れていた気持ちを一つにさせ、「これからも新聞を発行していく」との思いでまとまった。

明るくなった社内
 11日に記者会見し、社員の解雇撤回の要求と新聞発行継続を強調した。その日から3週間、社員は一丸となって新聞を作り続けた。紙面縮小の4ページで購読者に十分な情報が届けられないというもどかしさがあるが、「出し続けることが大事」と自分に言い聞かせ、疲れた心と体を奮い立たせている。この間多くの仲間の支援を受け、全国から電話やメールで激励を受けた。とても感謝であり元気が出る。
 取材先では「新聞は2社ないと駄目だ。頑張れ、応援しているぞ」などの声があり胸が熱くなった。自分の気持ちに寄り添い支えてくれる家族の存在は心強く、知人や友人からの電話には勇気が湧いた。恩師からは「きついと思うが、今の頑張りが将来にきっと生きてくる。何もできないが新聞を購読したい」との言葉がありがたかった。

 新聞発行を続けてきたことが事業譲渡につながった。新しい経営者は法人登記の手続きが済み次第、正式に発表すると言っている。座喜味社長に退任を迫り、慣れない団体交渉末の解雇通知に「受け入れない」と新聞を作り続けてきた。強い気持ちの一方、この先どうなるのだろうかという不安もあり、事業譲渡決定は「暗いトンネル」を抜けたような明るい希望を与えた。だが社員の人員不足による紙面縮小など依然厳しい状況。購読者に支えられ、新聞労連や県マスコミ労協、宮連会の支援を受けた紙面作りはまだ続きそうだ。

 今言えるのは創刊51年の歴史ある新聞社を守り、新たなスタート地点に立ったことだ。小さな新聞社だが地域に果たしてきた役割は大きく、改めて存在の大きさを感じた。社内には明るい雰囲気が漂うようになった。新しい経営者と社員が一丸となり、これからも「宮古新報」の新聞を作り購読者に提供していきたい。

JCJ月刊機関紙「ジャーナリスト」2019年2月25日号
posted by JCJ at 14:20 | メディアウォッチ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする