■女性に対する“性暴力”への無罪判決が相次いでいる。父親からの性的虐待や泥酔させての準強姦事件などに、どう裁判官は向き合ったのか。市民感覚からのズレの大きさには呆れる。
■21日は裁判員裁判が始まって10年になる。9万人という多くの市民が、重大な刑事事件を扱う裁判員裁判に参加してきた。20歳以上の有権者から抽選で選ばれた裁判員6人が裁判官3人と合議で審理にあたる。
■もし強姦致傷罪に当たる事件を、裁判員裁判で担当したら、「防御・抵抗することは可能であった」などの理由で、無罪判決が出せただろうか。職業裁判官ならではの矜持、詭弁を弄した法解釈と訴訟テクニック、さらには上昇志向からくる行政への配慮・忖度などが、審理では働きがちである。
■そんなことは気にせず、新鮮な気持ちで裁判に向き合える市民の参加は意義が大きい。これまでの書面中心の審理から法廷での証言が重視され、社会常識とかけ離れた判決を出させないうえで、裁判員制度は刑事裁判に大改革をもたらした。
■こうした経過を踏まえるとき、元朝鮮人慰安婦をめぐる「植村裁判」についても、触れざるを得ない。いま捏造記者とバッシングされた元朝日新聞記者・植村隆さんの名誉棄損回復裁判は、札幌地裁での不当判決に抗し、札幌高裁で控訴審が行われている。
■先月末の第1回口頭弁論で、植村裁判弁護団は、
<櫻井よしこ氏は、1992年ごろ元慰安婦の強制連行体験や境遇に、心を寄せた記事を書きながら、突然22年後になって、明確な根拠を示さずに「人身売買説」を主張し、植村バッシングを始めた。しかも櫻井氏は植村氏への裏付け取材を怠り、また資料の引用や理解で誤りを繰り返している。なのに「捏造」と思いこむ「真実相当性」があるから、名誉棄損に当たらないとする免責判断は、あまりにも公正さを欠き、歴史に残る不当判決だ>
と訴えている。
■少なくとも櫻井氏がジャーナリストを標榜する以上、テーマが重大であればあるほど、論評や記事の裏付け取材は、常識も常識。裁判官がこの社会常識すら無視して判決を下すなら、非常識も極まる。(2019/5/19)