2019年05月30日

【「令和」狂騒報道】 放送 恐るべき礼賛横並び 制度批判の言論伝えず=戸崎賢二 

 4月30日、5月1日の退位・即位の日、おびただしい量のテレビ報道があった。
印象を端的に言えば、恐るべき同一性ということだろうか。
 新天皇即位の日のテレビ報道は、前夜のカウントダウン、各地の「令和」奉祝行事、新生児が並ぶ産院の取材、それに、新天皇の過去の事績の歴史資料映像といった内容に終始し、ここに例外なく「おことば」を読み解く解説が加わる。
 日中のワイドショーはもちろん、5月1日のNHK「ニュース7」「ニュースウオッチ9」テレビ朝日「報道ステーション」TBS「NEWS23」などを視聴したが、どの局も判で押したように似た内容だった。
 こうした一連の報道がはらむ問題は何か。二つの点を指摘したい。

憲法違反の疑い
 第一の問題は、代替わりの儀式に憲法上の疑義があるという批判があるのに、その議論の存在が全く伝えられず、放送全体が奉祝の基調に蔽われていたことだ。
 即位の儀式は、天照大神から授かったとされる三種の神器の継承を核としている。これは、天皇が神の子孫であることを主張する宗教的行事であって、このような皇室祭祀を国家的行事とすることは、憲法の政教分離の原則に明らかに反する。
 また続いて行われた「朝見の儀」は、本来は「天皇が群臣を召して勅語を賜う儀式」(広辞苑)である。一段高ところに立った天皇に議員らが臣下のごとく拝謁するという形の儀式は、天皇の地位が国民の総意に基づくという憲法の精神とは相容れない。

 ニュース制作者は、こうした論点を知っていて意図的に避けたのだろうか。そうであればまだしも救いがある。
 筆者の推測にすぎないが、放送現場には、このような憲法の知識がそもそも不在であり、憲法や天皇制の起源に関する無知・無教養が蔓延しているのではないか。このほうがことは深刻である。
 4月18日、明仁天皇が伊勢神宮を参拝したとき、NHK「ニュースウオッチ9」のアナウンスは、伊勢神宮について「皇室の祖先の天照大神がまつられています」と留保抜きで紹介した。天皇の祖先が神であると明言した形である。
 こうした報道もまた無知を露呈するものだった。

天皇制批判排除
 もう一つの問題は、テレビでは、天皇制そのものに対する批判的言論が抹殺されたかのようにほとんど伝えられなかったことだ。
 ある特定の家柄に生まれたことで特別に高い地位に就く、という制度は、どう考えても憲法の原理には反する。しかも日本人は過去、その地位への尊崇と服従を強制され、戦争の惨禍を経験している。こうしたことから、天皇制に疑念を抱く国民が少数とはいえ、確実に存在するはずである。
 しかし、退位・即位関連番組は制度批判の言論をほとんど伝えていない。

 新天皇即位の「おことば」のなかに、注目すべき文言がある。
「…歴代の天皇のなされようを心にとどめ、自己の研鑽に励む」と新天皇は述べた。「歴代天皇」の中には当然昭和天皇が含まれるだろう。ここには昭和天皇の名によって遂行された戦争の時代から現行憲法の時代への転換の認識が見られない。各局ニュースは「おことば」を必ず解説したが、この点を指摘した解説は見当たらなかった。
 5月3日の「NEWS23」は、当日の毎日新聞の天皇制についての世論調査で、「天皇制は廃止すべき」とする意見が7パーセントあったと伝えた。象徴天皇制でよい、とする意見74パーセントに比べれば圧倒的に少数だが、100人の国民がいればそのうち7人が天皇制反対ということになる。決して少ない数ではない。
 代替わりの時期は、国民が天皇制とは何かを考える絶好の機会であるはずだった。少数意見の存在もまた報じられてしかるべきではなかったか。

同調圧力の増大
 憲法は「天皇の地位は国民の総意に基づく」と定めている。しかし、総意など関係なく、天皇を敬愛するのが当然と言わんばかりの報道があふれ天皇制は尊重すべきという空気がテレビ報道全体を覆っていた。
 こうした報道による同調圧力の増大は、日本をどこへ導くだろうか。
 たとえば将来、安保法の下で、自衛隊員が海外で大規模な戦争に参加し、戦死者が出るなどという「国家の非常事態」が生まれた場合、テレビメディアが、愛国心をあおる横並び一斉報道を展開し、国民の判断を誤らせるかもしれない。
 今回の代替わり報道はそうした懸念を身に迫るものとして感じさせた。
 テレビ報道に従事する人びとには、代替わり報道が本当にこれでよかったのか、という自省と批判精神の回復を求めたい。

戸崎賢二(元NHKディレクター)

JCJ月刊機関紙「ジャーナリスト」2019年5月25日号
posted by JCJ at 10:06 | メディアウォッチ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする