2019年10月25日

不自由展「検閲」の爪痕 なお残る歴史認識、女性蔑視、民族差別… 公権力介入で芸術の力失う=古川美佳

 国際芸術祭「あいちトリエンナーレ2019」の一つ「表現の不自由展・その後」(以下、「不自由展」)が、脅迫やテロ予告を含む抗議(電凸)によって開催3日目で中止となるも、66日ぶりに全面再開、そして10月14日会期を終えた。入場者数は過去最高の65万人を記録したが、それは皮肉にもこの国の「表現の不自由さ」があらわになって、人びとの関心を呼んだからであろう。
 ふりかえれば、「不自由展」中止後直ちに識者やジャーナリスト、市民らから抗議の声明や署名がわき起こり、参加アーティストたちのステートメントやボイコットも生まれた。さらに、再開を求める連日の市民運動、アーティストたちによる対話の試み「Re Freedom」、そして何より「不自由展」実行委員会による「仮処分」申し立てが、「検証委員会」まで立ち上げた大村秀章知事と津田大介芸術監督が主張する「リスク管理」とまがりなりにもかみ合って、一時中止を復活させたといえよう。
 とはいえ、抽選による観客制限や荷物検査、撮影禁止等条件付き再開、文化庁によるトリエンナーレへの補助金不交付や河村たかし名古屋市長による不自由展再開抗議の座り込み等、公権力と文化行政の関係は疑問視されたままだ。

表現のタブー暗示
 「不自由展」を中止に追い込んだ批判や脅迫の標的となったのが日本軍「慰安婦」問題を表した〈平和の少女像〉(以下、〈少女像〉)と大浦信行の映像作品〈遠近を抱えて PartU〉だ。この事件がメディアで報じられるたびに〈少女像〉はたびたびTV画面に登場した。しかし大浦の作品は、「昭和天皇の肖像を燃やした」としてSNS上で作者の意図とはかけ離れた言説となって独り歩きし、作品そのものの画像や図版が取り上げられることはなかった。これまでも「反日」の象徴とばかり喧伝されてきた〈少女像〉の露出と、隠ぺいされる天皇の肖像という二つのアンビバレントは、令和の時代の「表現のタブー」を暗示している。
 ところで、〈少女像〉の制作者キム・ソギョン、キム・ウンソン夫妻は、1970~80年代韓国の民主化運動と呼応して生まれた民衆美術の作家だ。植民地、南北分断、独裁政権と続く歴史の激動にあって、民衆美術家たちは表現することで社会変革を試み、弾圧された。

 今回の「不自由展」をめぐっては、「芸術かプロパガンダか?」などの議論が上がった。
 だが、逼迫した政治状況を強いられてきた韓国では、「政治と美術はともにある」。〈少女像〉もこうした文脈で生まれ、若い世代にとっては今やMeToo運動の先駆けとして女性の人権を象徴するアイコンとなっている。「反日」のプロパガンダだと見なしたいのは、見る側の欲望ではないか。

核心問題はここだ
 現代社会を反映する優れた作品が数多く散見された今回のトリエンナーレの中でも、少女像と天皇の肖像から問題の核心が透かし見えてくる。すなわち、表現の自由を脅かした「検閲」の背後にあるのは、天皇や日本軍「慰安婦」、徴用工や沖縄米軍基地等をめぐる歴史認識、女性蔑視、民族差別問題なのである。
 8月2日の菅義偉官房長官の補助金交付に関わる発言、その後の文化庁の補助金不交付こそ、これらの問題に対する政府公権力の政治的イデオロギーのあらわれである。近隣アジア諸国との記憶闘争、そしていまなお日本人を巣食う「天皇タブー」に自覚的にならない限り、私たちは権力の奴隷と化し、国家を内破する芸術の力を失うことになるだろう。トリエンナーレは終わってなどいないのだ。

古川美佳(朝鮮美術文化研究者)

JCJ月刊機関紙「ジャーナリスト」2019年9月25日号
posted by JCJ at 13:01 | Editorial&Column | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする