2020年03月28日

ヘイト本 氾濫の舞台裏 加害の自覚ない出版社・取次・書店 最新著で問題点指摘の永江さんが語る=土居秀夫

 
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 嫌韓反中など、差別・蔑視をあおる本が書店に数多く並ぶようになって久しい。出版部会ではその背景を探ろうと、昨年12月に刊行された『私は本屋が好きでした』でヘイト本の舞台裏を描き出したライターの永江朗さんを招き、「なぜヘイト本が作られ売れるのか」と題した例会を2月21日、都内で開催した。
 冒頭、永江さんは、ヘイト本という言葉は使うべきではない。本人が変えられない属性への差別を扇動する憎悪表現というべきだろう、と前置きをして講演に入った。
 『私は本屋が・・』が企画されたのは5年前。その時点でヘイト本のブームは去っていた感があったが、ケント・ギルバートや百田尚樹という新たな書き手が登場。彼らによって差別・扇動本の受け止め方が変わったと、永江さんはいう。安倍晋三政権下で韓国との関係が悪化し、ワイドショーとヘイト本がそれを補強する形になったのだ。
本を選べない
 永江さんの取材は、ヘイト本が消費される場=書店から始められた。その現場はパートやアルバイトが多いうえに、取次が配本した本を売るだけで、書店員は本を選択する意識は薄く責任感はない。取次店は本の内容には触れないのが不文律で、これも責任を取らない。
 一方、作り手の編集者は世の中の見方の一つを本にしているという感覚で、それによって傷つく人の存在がわからず、自らの加害者性を問わない。「出版界はアイヒマンだらけ」すなわち自分がしていることの先に何が起きるのか理解しない。それは想像力の欠如だと永江さんは語気を強めた。
 当事者意識の希薄化の根底には労働疎外がある。IT化と派遣など非正規雇用の増大と下請化によって、編集現場は様変わりした。その中でリスクを減らそうと「柳の下のドジョウ」を狙った本や確実な読者層(中高年男性)のいるヘイト本が生まれたのではないか、と永江さんは指摘する。
 1960年代以降、市場は縮小したのに、70年頃の書籍新刊点数約2万点が2000年代前半には約8万点に。その結果、自転車操業と現場の疲弊が進行、作家も本が売れないことでブックオフや図書館を目の敵にするが、問題は出版業界にある。
 それは著書の中心的テーマである、書店が本を選べない流通システムだ。店頭に並ぶ本は、取次がパターンやランクに基づいて送りつけたものなのだが、そのことを知る人は少ない。
閉塞感背景に
 ヘイト本の社会的背景について永江さんは、90年代のバブル崩壊後の不況、少子化、高齢化などによって閉塞感が増したのではという。韓国の発展、中国の台頭への嫉視があり、不安定化でナショナリズムに頼るところに、第一次大戦後のドイツのナチ化と同じマインドがあると指摘した。
 そして、啓蒙ではヘイト本の状況を変えることはできない。業界の下部構造を変えないといけない、と強調し、小さな書店や出版社が増えていることに未来への希望を見出したいと語った。
 最後に、『私は本屋が・・』を書いた後も、法的規制の必要性については揺れ動いていると心中を述べ、講演を終えた。
 講演後の質疑では、読者層、ヘイト本への批判の必要性、出版再販制の是非、出版人の倫理観など多様な視点から議論が交わされた
 土居秀夫
JCJ月刊機関紙「ジャーナリスト」2020年3月25日号

posted by JCJ at 14:25 | 出版 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする