2020年04月17日

【スポーツコラム】 絆の重さ知った空白の3月=大野晃

 新型コロナウイルス感染症の感染対策で、3月は世界中からスポーツが消えた。戦争中のようだとの声も上がった。
 日本では、あらゆる競技会が延期、中止、休止や無観客試合に追い込まれ、米大リーグやフィギュア世界選手権など世界のビッグイベントが次々に延期、中止。東京五輪やパラリンピックの予選会も見通しが立たない。
 安倍首相の独断で全国一斉に小中高校が休校を要請されたことで、子どもたちの運動機会が制限され、大人には、屋外でも、集まったり、活動したりの自粛要請でスポーツ機会は失われた。
 家の中で体を動かしたり、外で走ったり、歩いたりできても、一人では楽しくない。テレビ中継などで競技を見ても、スタンドで仲間と観戦しながら大騒ぎする喜びがない。
 子どもからお年寄りまで、スポーツが楽しめないストレスは、プレーや競技ができないことより、仲間と集まることを制限されたことで強まったのではないか。
 仲間との絆や人と人とのつながりが、スポーツには欠かせないからだ。スポーツが消えたことは、災害時同様に、当たり前の生活を奪われたことを意味する。生活に欠かせないスポーツの権利は重い。消えて本質のわかる自粛期間なのだと思う。
 しかし、政府やマスメディアの視点には、それが欠落している。
 東京五輪・パラリンピックの延期や中止が重大問題とされているが、経済的影響や国の威信ばかりが注目され、五輪代表などトップ競技者の不利益には敏感だが、国民のスポーツ生活は、精々、健康・体力つくりしか眼中にないようだ。
 スポーツ庁や日本スポーツ協会による国民スポーツ生活の対策提示は皆無であり、スポーツ基本法は無視された。日本オリンピック委員会は世界に連帯を呼びかけることもなく、沈黙したままだ。
 国際連帯で、権利を尊重した科学的根拠のある感染対策を進める必要があるだろう。
大野晃
JCJ月刊機関紙「ジャーナリスト」2020年3月25日号

posted by JCJ at 10:44 | Editorial&Column | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする