
カナダ政府が新型コロナウイルス対策として、3月16日に外国からの旅行者の入国を禁止し、トゥルードー首相が人々に「家にいるように」と呼び掛けてからすでに9週間、私は「緊急事態」下で暮らしている。
緊急事態は州知事によって宣言され、私が暮らす人口最多のオンタリオ州では食料品店と薬局以外はほぼすべての事業所が閉鎖、学校は休校、5人以上の集まりが罰則付きで禁じられるなど、日本より厳しい制限が私生活の細部にまで課されている。
カナダのコロナ報道は中国で感染が広がった1月に始まっていたが、イタリアで死者が急増すると明らかに危機感が強まり、国境閉鎖とともに報道はコロナ一色に染まった。初めは人権に配慮した多様な感染対策を紹介していたが、国境閉鎖とともに読者・視聴者に対して「手を洗え」「人から2メートル離れろ」と命令調になり、さらには「コロナウイルスとの闘い」を第二次世界大戦になぞらえる戦争用語を連発するようになった。その変化を報告する。
当初は差別に警鐘
1〜2月、メディアは至って冷静だった。中国・武漢の封鎖や、横浜港のダイアモンド・プリンセス号の隔離で帰国できなくなったカナダ住民に、政府は帰国便を手配し、メディアは戻ってきた人たちの安堵の声を伝えた。帰国者たちは軍の施設などに14日間隔離されたが、公共放送C B Cラジオはこの隔離が本当に必要なのか、隔離が及ぼす精神的・身体的な悪影響はないのかを公衆衛生の専門家らに取材。隔離よりも治療体制の拡充に力を入れた方が有効である、という見方も報じた。
やはり中国から始まった2003年のS A R S流行時に、トロントの中華街は閉店が相次ぎ、中国出身者への差別が強まったことから、感染症がもたらす社会的な分断にも警鐘を鳴らした。カナダのメディアには日本に比べて、日頃からよく大学の研究者が登場するが、「伝染病には生物学的側面だけではなく、政治的、経済的、社会的な影響を考えて対処しなければ、より多くの人を傷つける」と語った感染学者の言葉が、今では重く響く。
鎖国ドミノで一変
個人の自由と社会の多様性を尊重する姿勢は、新型コロナウイルスが欧米内部を直撃するとともにメディアから失われた。米国のトランプ大統領が欧州からの入国者の拒否を発表した際、C B Cはまだ「こんな独断的な手法は、国際協調が必要なパンデミック対策に有効ではない」という専門家の批判を報じていた。が、自国政府が鎖国ドミノに加わるや、政府の対策に疑問をさしはさむ発言は消えてしまった。
全国紙グローブ・アンド・メールは社説で「ウィルスを止めるためにいま行動するか、後で悔やむか」(3月16日)、「先回りしてウィルスを殺せ」(17日)、「いい市民になろう、距離を保って」(18日)、「ウイルスとの戦争の準備はいいか?」(19日)と連日、読者を総動員体制に組み込むことに精を出した。同紙のコラムニストが「現在のパンデミックをある種の戦争として考えることには、奇妙な心地よさがある。それは私たちの多くがすでに知っていて、よく理解できる概念だからだ。戦争なら私たちは前にしたことあり、何を乗り越えなければいけないのか思いつく」(19日)と書いた時には目を疑った。
実情を覆い隠した
医療関係者もスーパー従業員もひとまとめに「前線要員」と呼ぶなど、粗雑な戦争の比喩は広がるばかりだ。戦争の心理が、コロナ対策の実像を覆い隠している。カナダのコロナによる死者の約8割が介護療養施設の高齢者と職員だという事実は、明らかに福祉制度の失敗を示し、カナダ史上最悪の連続銃撃事件(22人殺害)は緊急事態下で発生したというのに、原因に深く切り込んだ報道はない。戦争心理がジャーナリズムを内側から縛ることを目の当たりにしている。
小笠原みどり(ジャーナリスト、社会学者)
JCJ月刊機関紙「ジャーナリスト」2020年5月25日号