2020年07月09日

「権力と報道の距離」考えよ 理想と現実の間で闘うのが記者 「黒川賭けマージャン」にみる=徳山喜雄

                 文春記事(黒川マージャン).jpg
  黒川弘務・前東京高検検事長は賭けマージャンで辞職し、法務省の内規に基づく「訓告」という軽い処分を受けた。振り返れば、黒川氏は内閣による脱法的な法解釈変更で定年延長していた。
 内閣法制局長官、日銀総裁、NHK会長など、安倍晋三政権は独立性がきわめて重んじられる要所の人事を恣意的に行なってきた経緯がある。黒川氏の定年延長も検察ナンバー1の検事総長への布石といわれ、「官邸の守護神」と揶揄された。
 検事長が、コロナ禍による緊急事態下に賭けマージャンに興じるのは言語道断だ。黒川氏のお相手を常習的にした産経新聞の社会部記者2人と朝日新聞の元司法担当記者は、どうなのか。
 両紙とも「極めて不適切な行為」とし、産経は記者2人を取材部門からはずし、朝日は元記者を役職からはずしたうえで停職1カ月とした。
報道倫理の問題
  おわび記事(いずれも5月22日朝刊)をみると、産経は「取材対象に肉薄することは記者の重要な活動」として自社記者をかばい、朝日は「取材活動ではない、個人的な行動」とし、元記者に責任を押しつけたとも取れる記事を書いた。
 しかし、ここで語るべきは、「権力と報道の距離」の問題ではないか。両紙ともこれについてはほとんど触れていない。権力と距離を保つことは、報道倫理の最重要事項のひとつである。
 では、産経は取材対象に肉薄し、特ダネや独自ダネを書いたのか、ということだ。だが、ここのところ検察がらみで目立つ記事はでていない。
  黒川氏が検事長時代に指揮をとった総合型リゾート(IR)の汚職報道は、自民党議員の逮捕者もでたが、読売新聞がリードした。産経新聞関係者によると、「マージャンを繰り返している割には、記事がでてこない」との不満が社内にあったという。黒川氏は記者を操る鵜匠だったのか。
 「権力と報道の距離」を改めて考えたい。読売はこの年末年始、IR汚職報道で確かに精彩を放った。一方で、権力との距離の近さもしばしば指摘されてきた。第2次安倍政権発足後のきわめつけは、憲法施行70周年にあたる2017年、安倍首相に単独インタビューし憲法改正について縦横に語らせ、憲法記念日の5月3日に特大記事を載せた。
 改憲という国家の根幹をなす重要テーマは、オープンな場で記者会見し多様な質問を受けるのが、まっとうな対応だろう。
 その後、野党議員が衆院予算委で安倍首相に改憲発言の真意をただすと、「自民党総裁としての考えは読売新聞に相当詳しく書いてある。ぜひ熟読してほしい」と答えた。国会で説明を求められ、「新聞を読んでくれ」とは、前代未聞の答弁である。安倍首相(権力)と読売新聞(報道)の距離が厳しく問われる場面であった。
 気脈を通じた報道機関、あるいは記者からの取材を受ければ、批判的な質問を受けずにすむ。新聞だけでなく放送においても、安倍政権の「メディア選別」は常套手段で、お家芸ともいえる。
公共放送の役割
 公共放送であるNHKと政権の距離も気がかりだ。たとえば、安倍首相と近い関係にある政治部の女性記者が主要ニュースの解説を担当し、その内容はジャーナリズムの要諦ともいえる「権力監視」をしているとは思えない。
 この記者をテレビで見るにつけ、戦前に『放浪記』で人気作家になり、ペン部隊として中国戦線に従軍した林芙美子を想起する。
 林は1938年夏、日本軍が展開した漢口攻略戦に同行、占領翌日に漢口に一番乗りした。行動をともにした朝日新聞記者は「ペン部隊の『殊勲甲』 芙美子さん決死漢口入り」との記事を書いて賞賛。帰国した林は、東京、大阪の各地で従軍報告講演会に登壇、戦争熱をあおった。
 戦中と現在とは違う。だが、「権力と報道の距離」の問題はいつの時代にもある。最前線の記者の苦労はわかる。「きれい事ではすまされない」という声も聞こえる。
  しかし、理想と現実の狭間で闘うことも、記者の役割ではないか。
徳山喜雄
JCJ月刊機関紙「ジャーナリスト」2020年6月25日号

posted by JCJ at 01:00 | メディアウォッチ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする