被爆75年、コロナ禍のなか今年も広島、長崎で祈年式典が執り行われた。感染を避けるため予定された人数が制限され、多くの企画が取り止めになったのは残念だが、心に滲みるコトバの数々が胸に響いた。
とりわけ田上富久長崎市長による「平和宣言」が秀逸だった。冒頭で「どうして私たち人間は、核兵器を未だになくすことが出来ないでいるのでしょうか」と問いかける。「人の命を無残に奪い、人間らしく死ぬことも許さず、放射能による苦しみを一生涯背負わせ続ける、このむごい兵器を」と。つづいて原爆雲の下で「繰り展げられた惨劇」を被爆者の日記を読み上げることによって再現。
1300人の幼い命が犠牲になった爆心地直近、山里小学校の「第2校歌」、「あの子」の作曲者の日記だ。この歌は式典で同校児童による合唱で披露された。
日記を挿入したことについて信濃毎日新聞が当日のコラムで紹介している。素案にはなかったが「被爆者の肉声を」という声が「起草委員会」で相次ぎ「原爆が落とされたらどうなるのか若い人が想像できる」ようにという意見が取り入れられた結果だという。集団討議で作成された「宣言」なのだ。
「宣言」は、被爆者が「この地獄のような体験を、二度とほかの誰にもさせてはならないと、必死で」被害の実相を伝えてきたにもかかわらず「核兵器の本当の恐ろしさはまだ十分に世界に伝わって」いないと指摘。「核保有国の間に核軍縮のための約束をほごにする動きが強ま」り、「新しい高性能の核兵器や、使いやすい小型核兵器の開発と配備も進められ、核兵器使用の脅威が現実のものになっている」と警鐘をならす。3年前に国連で採択された核兵器禁止条約は人類の意思であり、賛同しない核保有国、核の傘の下にある国々は間違っていると、「平和の文化」を市民社会に根づかせようと呼びかける。
若い世代には「あなたが住む未来の地球に核兵器は必要ですか。核兵器のない世界へと続く道を共に歩んでいきましょう」と。世界の指導者には「相互不信」の流れを壊し、「信頼」と「連帯」にむけた行動を選択することを、そして日本政府と国会議員には一日も早く核兵器禁止条約の署名・批准をし、北東アジア非核地帯の構築の検討するよう求めている。
「宣言」は核兵器、新型コロナウイルス、地球温暖化の問題はともに「地球に住む私たちみんなが“当事者”だとしている。重要な指摘であろう。また核兵器禁止条約の国連採択に貢献し、効力発効の努力をしているICANの試算も紹介しておきたい。
核保有9カ国の2019年度の核関連予算は合計730億ドル。このうち半分以上が米国の354億ドル。これを新型コロナウイルス対策にまわせば集中治療用ベット30万床、人工呼吸器3.5万台、看護師15万人・医師7.5万人の給与がまかなえる。核兵器を廃絶していればパンデミックを早期に終息させることが可能だったことを示していよう。韓国政府は防衛費を削減し新型コロナ対策に回しているという。日本の今年度防衛予算5.3兆円はそのままだ。
広島、長崎の式典のさなか、核禁条約の批准国が3つ増え発効まであと6カ国・地域となった。上記信濃毎日新聞は原爆忌について極めて充実した紙面を作成していたことも付記しておこう。
JCJ月刊機関紙「ジャーナリスト」2020年8月25日号