2020年10月27日

【メディアウオッチ】安倍政治に敗北したメディア 分断社会に深い亀裂 権力監視 十分に機能せず=徳山喜雄

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2800日におよぶ安倍晋三内閣が退陣、「菅雪崩」現象によって新首相に菅義偉氏が選出された。菅氏は第2次安倍政権以降、一貫して官房長官を務め、「安倍政治の継承と前進」を掲げている。その安倍政治とは、どのようなものだったのか。
端的にいえば、敵と味方を峻別する分断対決型の政治手法をとり、数々の重要法案を「数の力」で強行採決していった。問答無用といわんばかりに異論を排する手法は、政治だけでなくメディアや国民をも分断し、社会に深い亀裂を生むこととなった。
 この背景には、政権側の切り崩しによってジャーナリズムの要諦である権力監視が十分に機能しなかったことがあり、分断対決型の安倍政治にメディアが敗北するという事態になった。
 メディア選別
新政権の発足にあたり、安倍政治の功罪を明らかにし、何を引き継ぎ、何を改めるのか、見極める必要があろう。内政や外交政策はもちろんのことだが、その政治姿勢や国民への向き合い方が厳しく問われている。
 長期政権による奢りと緩みのなか、財務省による公文書改竄にまで発展した森友学園への国有地売却問題や、加計学園の獣医学部新設、首相主催の「桜を見る会」の疑惑について、国民が納得いく説明がいまもってなされていない。知人を優遇するもので、「国政の私物化」と批判されている。
 調査報道などで疑惑が追及されたが、いずれも詰め切れていない。ここには、首相に近いメディアとそうでないメディアを選別する巧みな首相官邸の戦術があり、一致団結できない昨今の分断状況が横たわる。「ほかに、もっとやることがあるだろう」と突き放す一部メディアの論調は、その典型であろう。
 近い報道機関を優遇するメディア選別は、権力監視というジャーナリズムの核心を切り崩していった。権力によるメディアの敗北はいまにはじまったことではないという見方もある。しかし、注目したいのは、「安倍一強」による弊害が政策や国民生活にまで多岐におよんだにもかかわらず、ジャーナリズムの役割が機能しなかったということだ。これは、歴代内閣が権力を抑制的に使ってきた戦後政治において、例をみないのではないか。
 在京6紙をみれば、保守系の「読売、産経、日経新聞」とリベラル系の「朝日、毎日、東京新聞」にくっきりと二極化し、お互いに聞く耳をもたない不毛といえる言論状況になっていった。
単独会見の妙
 手掛かりとして安倍政治が進めた、憲法を改正したともいえる安全保障政策や、エネルギー・原子力政策、歴史問題の対応などを見ながら、「安倍政治とメディア」について考えたい。
 国の根幹ともいえる安保政策は、特定秘密保護法の強行採決にはじまり、憲法9条の解釈改憲が国会審議ではなく閣議で決定。集団的自衛権の一部行使を認める安保関連法が成立し、日本は戦争ができる国にかたちを変えた。この原動力となった のが、首相と近いメディアとの「連携」であったとみられる。
第2次安倍政権は、首相会見を内閣記者会が主催する共同記者会見だけでなく、単独記者会見方式を取り入れた。これによって官邸は、首相の狙いを大きくアピールできるよう時期を見計らいながら単独会見の相手と日取りを調整することになった。その一例としては、2017年、安倍首相は読売新聞と単独会見し憲法改正について縦横に語り、憲法記念日の5月3日に改憲を前提とした特大記事を掲載。「権力と報道の距離」の問題が問われた。
当初は新聞、放送ともに会見の機会が均等に回されていたが、やがて偏るようになった。権力側にとって都合のよい情報が気脈を通じたメディアに流され、それを他のメディアが追いかけることで、安倍政治の独断的なシナリオに沿う流れができていった。
NHKをはじめとする放送においても、安倍政権のメディア選別は常套手段となり、情報と引きかえに取り込まれることとなった。
二元論的な世界
東日本大震災が2011年3月に発生。東京電力福島第一原発が津波の影響で爆発事故を起こし、最悪の場合「東日本壊滅」という事態にまで発展した。
 多くの住民が避難生活を余儀なくされ、甚大な被害がでたにもかかわらず、安倍政権は原発の再稼働を進めた。保守系メディアが原発推進、リベラル系が原発反対の立場を取り、激しく対立した。しかし同時に、保守、リベラルを問わずに「安全神話」を作りあげたメディアへの不信感が、国民に根強くあったことも忘れてはならない。
東京五輪招致が決まったIOC総会では、安倍氏が放射能について「アンダー・コントロール」と発言。これに対して東電関係者は否定的な見方を示している。「アンダー・コントロール」という言葉から、「安全神話」がよみがえってくるようでもあった。
 さらに、愛国か反省かを迫る歴史認識における対立が、社会に決定的な分裂状態を招くことになる。戦後70年の首相談話などをめぐって「歴史修正主義」的な動きがあり、保守系メディアがそれに呼応するということがあった。
 多様な意見があることは健全なことだ。それを否定しているのではない。ただ、安倍政権下での政治、社会状況は、改憲や原発の存廃、歴史認識など国論を二分するテーマで、保守とリベラルが鋭く対立、議論が二項対立化し双方ともに言いっ放しで終わっているケースが随所にみられた。
 このため深い議論や、第三の可能性を探るといった成熟した言論が成立しなくなり、二者択一の極論しかない二元論的な世界に社会が覆われることとなった。お互いに耳を傾けたうえで、切磋琢磨していく。これが民主主義社会のあるべき姿ではないか。
懐柔された報道
 菅首相による新内閣が発足した。安倍政治を「前に進めたい」といい、負の側面には目を向けようとしない。たとえば森友問題について、菅氏は財務省の処分や検察の捜査終結で「すでに結論がでている」と取り合わない。
官房長官時代の朝夕2回の記者会見での質問に対し、「そのような指摘はあたらない」「コメントは控えたい」など、そっけない受け答えをする場面がしばしばみられた。メディア対応は安倍氏以上に高圧的で乱暴という見方もある。
どう対応すべきなのか。現在の言論状況を打破する道として、@権力との適正な距離を保つA二極化、分断の解消につとめるB首相や官房長官らへの「質問力」をアップするC読者、視聴者への説明責任を果たすD女性や外国人が活躍できるよう組織の多様性をはかる、という点を挙げたい。
 首相や官房長官への多くの質問にみられるように、メディアは分断対決型の安倍政治を追及するどころか、懐柔された。巻き返さなければならない。   
徳山喜雄
JCJ月刊機関紙「ジャーナリスト」2020年9月25日号


posted by JCJ at 01:00 | メディアウォッチ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする