2週間に一度、郡山市を起点に双葉消防本部のある浜通りまで山を越えて片道2時間の道を、約1年間通いました。原発事故当時、消防書に勤務していた半数は退職していましたが、66人の方々から話を聞きくことができました」「66人、一人一人の状況は違います。今は北海道に避難して暮らす家族の元にフェリーで通う署員もいます。震災と原発事故の後、問題を克服したり、さらに抱える問題が大きくなったり、いろいろな考え方の人がいます。ですから自分の意見ではなく事実を淡々と書くように努めました。
当時の話を聞くたびに今でも鳥肌が立ちます。福島からの電気を使ってきた関東の人間として加害意識を持ちながら、それでも本を書くこと自体おこがましいという気持ちを持ち続けてきました」「この本で一番伝えたかったことは、消防士が『もっと守られてほしかった』ということです。あの時、消防士たちは自分の命もわからない中で決断をしなければならなかったのです。
そして原発の立地する地域の消防士の方々に、この本を読んで欲しいと思います。地域を守る人が、どれだけ守られていないのか、を」続いて、吉田さんは少し表情を和らげて「一番嬉しかったのは、『父はこれまで事故後の活動を話すことがなかった。その父がこの本を渡してくれた、今度父に会いに行こうと思います』と消防士の息子さんから感想をいただいたことです」と話した。
吉田さんは最後に「人の言葉、人のことを伝えたい。今ある問題をきっかけにして、次の世代につなげていきたいです。消防士の子どもさん、そしてお孫さんに伝えるように」と決意を述べた。静かだけれども、会場の人たちに力強く響く言葉だった。
古川英一
JCJ月刊機関紙「ジャーナリスト」2020年10月25日号