方方は2歳から今日まで62年間武漢で暮らす生粋の武漢人。長江に面し東洋のシカゴと呼ばれる人口1100万の巨大都市で、ウイルスは猛威を振るった。一家全滅もあり、団地の階段から遺体を担いで下ろす警察官は涙をこぼした。市民の多くは心に傷を負った。
著者の批判の矛先は、感染爆発を隠蔽する党幹部やメディアに向かう。「職務怠慢の連中に対して、私たちは追及の手を緩めてはいけない」。
ヒト―ヒト感染を最初に内部告発した医師は死んだ。市民は「遺された 家族や子どもは我々が面倒を見るぞ!」と叫び、 亡くなった時間に灯りを消し、夜空に向かって懐中電灯やスマホの光の束を送り追悼した。心の深くに沁みる光景だ。
ブログは、何度も削除され閉鎖されたが、読者たちは消される前にコピーし拡散した。検閲をしのぐネットワークが生まれた。「私たちはネット空間に場所を作り、一緒に大泣きしよう!」
黙ってはいられない。発信をやめるものか。「沈黙は虚言に等しい」とのヴィクトル・ユーゴーの箴言が著者を励ました。
小説家とはどんな存在なのか。方方はこう定義する。落伍者、孤独者、 寂しがり屋に、いつも寄り添うもの。溺れかかった時に縋る小枝。決して強者、勝者のものではない。これはジャーナリズムとも重なる言葉だ。
第3波に翻弄される日本において、孤立や排除ではなく、弱い人を守り共に生きのびるための必読の書だ。(河出書房新社1600円)

