2021年02月01日

【追悼】公害や反戦を歌に シンガーソングライター・横井久美子さんを悼む=隅井孝雄

 1月14日、歌手横井久美子さんが亡くなった。知らせを受けた私は、しばらく言葉がなかった。
 横井さんは2019年9月アイルランド旅行中に腹部の痛みを感じ、帰国後精密検査で腎盂癌との診断を受けた。腎臓を摘出し闘病を続けながらも、ブログを活発に執筆、一時「歌う学校」を再開するなど、元気を取り戻した時期もあったが、再起はかなわなかった。
 横井さんを私が知ったのは1969年頃だったからほぼ半世紀にわたる長い間の付き合いだった。当時私は民放労連の副委員長とマスコミ共闘会議(今のMIC)の事務局長を兼任していた。マスコミ共闘では当時反戦平和の大規模集会を活発に開いていたが、「ギター一本でどこにでも気軽に参加してくれる歌手」として紹介を受け、集会で歌ってもらったのが最初だった。
 1969年といえば、世界の激動の時期であった。若い世代が世界各地で立ち上がり,文化、音楽、社会に革命的変化が起きていた。ベトナム反戦運動や反核運動も日本、アメリカ、フランスなど世界各地で高揚した。
 ソロ歌手として日本各地の集会で歌い続けた横井さんは早くから世界に視点を広げた。1973年、まだ北爆が続くハノイを訪問、ファン・バンドン首相(当時)に面会、「戦車動けない」などを熱唱。ベトナムで広く知られる存在となった。1975年には第五回「ベルリン音楽祭」に出演、のちに持ち歌となった、アイルランドの曲「私の愛する街」に出会った。
 1985年には、122台のギターとともにニカラグアを訪問。2008年にはベトナム政府より、ベトナム統一30年記念式典に招待され、ベトナム戦争を勝利に導いた国際的友人の一人として、「国際平和友好賞」を授与された。
 最近ではネパールのへき地サチコール村に通い、子供たちにギターを教えるとともに、音楽ホールを建て寄付した。その他チリ、コスタリカ、南アフリカ、ポーランドなどでの音楽的貢献は枚挙にいとまがない。
 日本国内では、70年代の初頭、薬害スモン患者たちの闘争を支援して「ノーモア・スモンの歌」を自作、デモ、抗議集会で歌声を響かせた。全国各地の腕利きの弁護士たちにファンが多いのはその結果である。(1978年スモンで国と製薬会社が負担した和解金は32億5400万円)。
 また、峠三吉の歌詞を歌にした「にんげんをかえせ」は核廃絶のテーマソングとなり、2008国連総会に合わせたニューヨーク反核集会に参加した横井さんが歌った。CDジャケットの表紙には「焼き場に立つ少年」の写真(撮影ジョー・オダネル氏)が使われた。
 横井さんが願った「核兵器禁止条約発効」は1月22日だった。横井さんの存命がかなわなかったことが、改めて悔やまれる。
 
 横井さんの熱烈ファンの一人、京都の尾藤廣喜弁護士の訃報に寄せた言葉を紹介しよう。
 「運動の中で生まれた曲には、『飯場女の歌』、『戦車は動けない』、『夫へのバラード』、『辺野古の海』、阿武隈高地 悲しみの地よ』などがあります。このような闘いのうただけではなく、『自転車にのって』、『なみちゃん』、『母に送る言葉』、『人生の始まり』、『歌って愛して』、『歌にありがとう』など生活に根ざした、生き方を考える歌も多く歌っておられます」。
隅井孝雄(ジャーナリスト)
posted by JCJ at 02:00 | 追悼 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする