2021年04月29日

【東京オリパラ】「できない」と誰も言わない東京五輪 IOC、政府、都、メディア みな沈黙 戦犯恐れ自己保身 まるで戦争末期=徳山喜雄

JCJ3月号 東京五輪の5つの輪.jpg

 東京五輪・パラリンピックの開催予定日(7月23日・8月24日)が近づいている。ただ、海外からの観客を見送り、外国選手団もまばらという状態で強行し、「多様性」「平等性」を掲げる五輪憲章の精神が達成できるのであろうか。
 各種世論調査では、8割超の国民が再延期もしくは中止をのぞんでいる。コロナ禍のなか開催を断行したとして、選手村で大規模なクラスター(感染者集団)が発生したらどうなるのか。国内の医療態勢は逼迫している。アスリートや聖火ランナー、ボランティアら関係者のストレスはつのるばかりだ。
 五輪開催の決定権はIOCにある。だが、バッハ会長は判断せずに日本政府に丸投げしている。菅義偉首相は政権浮揚につながる決着をしたいところだが、長男やNTTによる腹心の総務省幹部への接待問題、コロナ対応のまずさで迷走している。五輪開催地の小池百合子・東京都知事は自らの政治的利益を優先し、「漁夫の利」を狙っているかのようだ。どこを見回しても「五輪の政治利用」が透ける。

 完遂体制

 東日本大震災からの「復興五輪」「コロナに打ち勝った証し」として開催するはずの五輪だったが、そうならないのは自明だ。にもかかわらず、キーマンの誰もが「できない」とはいわない。口火を切った人物が、後々まで責任を負わされる可能性があるからだ。ババ(貧乏くじ)を引いて、「戦犯」にされたくないという、アスリートや国民の気持ちを無視した自己保身が横たわっている。
 新聞や放送などのマスメディアも「できない」論を語ろうとはしない。朝日や読売、毎日、日経といった大手メディアが東京五輪オフィシャルパートナーに名を連ね、報道は「五輪完遂」体制に組み込まれている。戦前の1940年、皇紀2600年にあたる年に企画された東京五輪を彷彿とさせる。戦争で中止になったが、当時の新聞や雑誌は国家総動員体制のもと、国威発揚に血道をあげた。
 「大本営発表」を垂れ流すかのような後追い報道に終始し、報道が機能していないと言われても仕方がない。そんななかコロナ対策が不十分だとして、島根県の丸山達也知事が聖火リレーの「中止発言」をし、五輪開催にも反対だと表明した。勇気ある発言で直後に約330件の意見が県に寄せられ、7割が「よくいった」などと知事に好意的だったという。
 聖火リレーは福島を皮切りに3月25日からはじまり、全国47都道府県を回る予定だ。「島根の乱」によって他府県の知事も同調するのではないかと思ったが、どの知事も様子見をし、大きな変化はみられなかった。

脱無責任

 本誌を発行する3月末には、五輪開催の方向性が決められているかもしれない。だが、後手後手に回り、あまりにも遅くはないか。先の大戦の末期が想起される。戦争を止めなければ日本は廃墟になると分かっていても、責任ある立場の政治家や軍人らは決してそれを口にしなかった。メディアも同様で、「国賊」にされかねないババを引きたくなかったのである。
 報道はアスリートや国民を第一に考え、できないものはできない、無理なものは無理といい、無責任体制の一角から脱するべきだ。さもなければ、五輪報道の失敗として歴史に刻まれよう。
 徳山喜雄
                              
JCJ月刊機関紙「ジャーナリスト」2021年3月25日号
posted by JCJ at 02:00 | 東京五輪・パラリンピック | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする