2021年06月28日

台湾海峡有事と憲法 米国追従の日本 民間人も戦地へ 法の秩序を無視 メディアにも責任=徳山喜雄

 ことしの憲法記念日は、例年に増して憂鬱な日となった。一つは新型コロナ対策の緊急事態宣言のなかで迎えたこと、もう一つは4月の日米首脳会談の共同声明が52年ぶりに「台湾」にふれ、日中の緊張がいっきょに高まったことだ。
「一つの中国」を譲らない中国と台湾の両岸問題は微妙で、取り扱いを間違えれば「爆発」しかねない。ジョー・バイデン米大統領は習近平国家主席を「専制主義者」と名指しし、3月末の就任後初の記者会見においても米中関係を「21世紀における民主主義と専制主義の闘い」と位置づけている。

中国の台湾侵攻

 共同声明は、中国に対し対決姿勢を強める米国に日本が追従したかたちだ。憂鬱になるおおもとは、安倍晋三政権による2014年の憲法9条の解釈変更に端を発し、その翌年に可決された安全保障関連法(安保法制)の存在にある。
 安保関連法によって日本は、自国が攻められたときにのみ個別的自衛権を発動するという段階から、緊密な関係にある米国が攻撃された場合も応戦するという役割を担うことになった。米軍司令官は「中国の台湾侵攻は、6年以内に起こりうる」と3月の米上院公聴会で証言しており、安保法制が発動されることに現実味がでてきた。
 今夏の中国共産党の結党百周年と、22年の北京冬季五輪を終え、習主席が台湾問題を優先し軸足を置いたなら、台湾海峡に激しい波浪が押し寄せる可能性がある。米軍が出動するということになれば、日本はこれまでとまったく違った対応を迫られることになる。
 安保法制では、日本の平和と安全に影響を与える「重要影響事態」となれば米軍の後方支援をおこなうことになり、台湾海峡有事によって日本の存立が脅かさる「存立危機事態」になれば自衛隊は集団的自衛権を発動して武力行使できるとする。仮に米軍基地がある沖縄が攻撃されれば、日本有事を意味する「武力攻撃事態」と考えられ、個別的自衛権を行使することになる。

兵站を担う民間

 ここで留意したいのは、中国が台湾に侵攻し米軍が介入した際、戦地に送られるのは自衛隊員だけではないということだ。状況次第では、兵站のために民間の船舶や船舶従業員が動員されることになる。
 専守防衛に徹してきた自衛隊の前線への兵站能力は限定的で、民間に頼らざるをえないというのが関係者の見方だ。医療行為のために医師や看護師らが派遣されることにもなりかねない。
中国の近年の覇権主義的な動きをみるにつけ、絵空事とは思えない。法律には成立後すぐに使われるものと、年月を経て使われるものがある。安保法制が可決されて6年になるが、10年を迎えるころにあるかもしれないのである。選択は間違っていなかったのか。(→続きを読む)
                              
菅首相単独会見 産経紙面.jpg

 憲法記念日の5月3日付産経新聞は、菅義偉首相への単独インタビューを大きく掲載。「憲法の条文が現状にそぐわなくなっている。憲法改正に取り組んでいく」との首相の言葉を伝えた。
 ここで釈然としないのは、菅氏は改憲にかかわる重要な問題をなぜ産経新聞だけに語るのかということだ。「メディア選別」をするのではなく、共同記者会見などオープンな場で広く国民に向けて話すべきではないか。安倍政権時代は読売新聞が憲法記念日に合わせて単独会見したうえで、安倍氏が国会で「読売を熟読してほしい」といい、物議を醸したことがあった。
 さらに菅氏は3日の改憲派の集会に自民党総裁としてビデオメッセージを寄せ、コロナ禍の感染拡大にふれ、「緊急事態条項」を憲法に盛り込むことが「きわめて重く大切な課題」とアピールした。一方、反対意見をもつ国民の前では口を開こうとしない。
首相にとって国民とは自身を支持してくれる人たちであって、それ以外の人は何者と考えているのだろうか。

亀裂深まる報道

 ことほどさように政権のメディアの接し方には受け入れがたいものがある。だが、メディア側にも責任はあろう。この背景には、親政権と反政権に分かれて亀裂が深まったメディアの極端な二極化がある。
 こうした言論状況に乗じるように、安倍政権は憲法9条の解釈変更を閣議決定し、集団的自衛権を認めることになった。安全保障をめぐり国のかたちを180度変える重要な変更は、改憲をしなればならないのだが、仲間内だけでやってのけたのである。
 だが、在京6紙の反応は半数の新聞がそれを追認し、後押しした。平和憲法を掲げる日本が集団的自衛権をもち「戦争ができる国」になるのを、正当な法的手続きを経て国民参加のうえで決めたのなら、民主主義国家としておかしくはない。
しかし、閣議決定にはじまり、「数の力」で強行に安保関連法を成立させていったという事実を振りかえると、それは「法による支配」ではなく「人による支配」という専制にならないか。結果往来ではなく、専守防衛を棄て集団的自衛権を認めた経緯を決してうやむやにしてはならない。

正当な手続きを

 ジャーナリズムは憲法違反ともいえる「法の秩序」を逸脱した一連の政治に対し、もっと強く異議を唱えるべきだった。安保法制に反対する住民の抗議行動は2015年夏をピークに盛り上がったが、この状況を在京紙の半数は黙殺してきた。
 ただ政権に擦り寄るのではなく、信念をもって日本に集団的自衛権が必要と考えるなら、やり直して「正当な法の手続きを取れ」と、いまからでも主張すべきではないか。台湾海峡有事が語られる今日の国際情勢を考えると、自衛隊をはじめ一般国民を戦地に送り込むことになる法制が、砂上の楼閣であってはならない。
 とはいえ、武力衝突は絶対に避けなければならない。南・東シナ海に強引な海洋進出を進め、新疆ウイグル自治区や香港などで人権弾圧をつづける中国に対し、公正な批判をしつつも対話の道を閉ざしてはならない。
 徳山喜雄
JCJ月刊機関紙「ジャーナリスト」2021年5月25日号
posted by JCJ at 01:00 | 政治・国際情勢 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする