2021年07月23日

【事件】なぜジャーナリストは標的にされたのか 右派が仕掛けた歴史わい曲 「標的」監督・西嶋真司さん寄稿

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 元朝日新聞記者の植村隆がジャーナリストの櫻井よしこらを相手取った名誉毀損訴訟で、最高裁判所は昨年11月に上告棄却の決定を出した。この決定を受けて、安倍晋三・前総理大臣は自身のフェイスブックに「朝日新聞と植村記者の捏造が事実として確定したということですね。」とのコメントを書き込んだ。もちろんこれは荒唐無稽なデマだ。
 裁判所は櫻井の主張によって植村の社会的信用が失墜したことを認めつつも、櫻井が記事を「捏造」と信じたことに相当の理由があるとして免責したにすぎない。
 植村や弁護士からの抗議を受けて安倍は自らの投稿を削除したものの、日本の前首相が放ったフェイクニュースはインターネットを通じて今も拡散されている。

 避難と脅迫
 植村は1991年8月、元慰安婦だった韓国人女性の証言を伝えるスクープ記事を書いた。その記事には「女子挺身隊の名で戦場に連行され、日本軍人相手に売春行為を強いられた」とある。報道から23年後の2014年、記事の内容をめぐって植村を「捏造記者」とするバッシングが始まった。
 植村の記事を“捏造”と決めつけたのは、右翼論客の櫻井よしこや西岡力をはじめ、不都合な歴史を消し去ろうとする日本政府の立場を支持する人々。植村を「売国奴」「国賊」などと非難し、植村が教職に就くことが内定していた大学や植村の家族までもが卑劣な脅迫に曝された。「記事が捏造と言われることは、新聞記者にとって死刑判決に等しい」と植村は言う。
 不当な攻撃によって言論を封じ込めようとする動きに対し、大勢の市民や弁護士が立ち上がった。

 20年で何が
 植村が元慰安婦の記事を書いた1991年8月、私は民放のソウル特派員として慰安婦報道の渦中にいた。当時、韓国では「挺身隊」と「慰安婦」が同義語として使われており、私をはじめ日本の多くのマスコミも慰安婦問題の記事に挺身隊という言葉を用いている。
 同じような内容を伝えた私や他のメディアはバッシングを受けずに、なぜ朝日新聞の植村だけが標的にされたのか?当時は“誤報”ですらなかった報道内容が、“捏造”と呼ばれるようになった20年余りの間に、日本に何が起きたのか?
 1997年に安倍晋三前首相を事務局長とする「日本の前途と歴史教育を考える若手議員の会」が発足して以来、日本政府は慰安婦問題に関して自国の責任を極限まで小さくしようとし続けてきた。戦場に送られた慰安婦の強制を裏付ける資料が発見されていてないことを理由に、慰安婦の募集は国家とは無関係だと主張する一方で、歴史教科書から慰安婦の記述をなくそうという動きが政府主導で進められた。
 2019年に愛知県で開催された「あいちトリエンナーレ展」では、慰安婦を象徴する〈平和の少女像〉が「日本人の心を踏みにじる」という理由で一時展示が見送られる事態になった。
 
 報道の萎縮
 最近の20年余りの間に日本のメディア界にも変化が起きた。慰安婦を扱う特集記事や番組は姿を消し、いつしか慰安婦問題はメディア界ではタブーとなった。政府に批判的な報道を行うことによってバッシングや脅迫の標的にされる様子を目の当たりにして、メディアは明らかに萎縮した。
 歴史の真実を伝えることはジャーナリズム本来の使命である。それはあらゆる外部の圧力から自由でなければならない。不都合な歴史を報じたジャーナリストを力で抹殺しようとすれば、民主主義は崩壊する。ジャーナリストを標的にしてはならない。(敬称略)
 JCJ月刊機関紙「ジャーナリスト」2021年6月25日号
                           
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posted by JCJ at 01:00 | 事件 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする