2021年07月24日

【スポーツコラム拡大版】東京五輪の異常開催を許したマスメディア=大野晃

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 2021年東京五輪が新型コロナウイルス感染症のパンデミック(世界的大流行)拡大を増幅する危険のある緊急事態宣言下で開幕。医科学専門家の警告を無視し、開催の是非を封じ込めて、暴走した政府、東京都と国際オリンピック委員会(IOC)。追従の日本オリンピック委員会(JOC)。マスメディアは異常開催をなぜ許したのか。経緯を追って重点的に検証してみる。


テレビ向け見世物ショー

 競技は、互いに敬意をはらう競技者の友情と協力で成り立つ。 世界中の競技者に、その精神を拡大し、競技者の団結と連帯を強めて、支援者やファンなど取り巻く人々も含めた絆を深めることで世界平和実現の基礎を固めるのが五輪の基本理念だ。 単なる競技会ではなく、人類の理想を掲げた平和の祭典である。
 ところが東京五輪では、多国間、多競技間の競技者や関係者同士、そして応援ファンとの交流が禁止され、行動の自由が制限され、公平な条件での競争が保障されず、安全が確保されないまま、競技者は無批判な参加を強いられた。
 これでは、眼前にある五輪は似非五輪であり、公正な国際競技会ですらない。テレビ向けの見世物ショーにすぎない。膨大な税金を負担させられた国民のほとんどは、他国で開催された五輪同様に映像観戦に限られた。
 しかも、世界中で命の不安を膨張しかねない、スポーツに名を借りた悪質テレビ番組と言っていい。万人が楽しめるはずがない。

経済活性化国威発情を狙う

 世界の競技者を目の当りにし、世界のファンたちと一体に競技を楽しむ五輪の平和な、お祭り騒ぎに胸躍らせる国民ファンは多い。半世紀以上も前の最初の東京五輪を経験し、近年、国際競技会の拡大で、国際的な和気あいあいとした雰囲気の体験が増えた国民には、五輪人気が根深い。
 それを利用し、自民党政権は、巨額な税金を投じて、バブル崩壊後の日本経済活性化の切り札とし、それによる対外的な国力誇示と国威発揚を狙った政治的、経済的国家事業とするために、五輪開催に動いた。(→続きを読む)
 

欺瞞に満ちた国の推進事業

 森喜朗元首相と安倍晋三前首相のコンビが推進し、先兵となったのは大手広告代理店・電通である。
東日本大震災と福島第一原発事故の直後に、なりふり構わぬ招致を進め、「(原発事故の)汚染水はコントロールされている」などの虚言と、見せかけの「復興五輪」で、世界と国民を欺き続けた。
 東京五輪開催をめぐるマスメディアの課題は、当初から、政治的経済的国家事業の欺瞞を暴き、国民の平和的期待を現実化するための監視と、原点に戻って五輪の理想を国民生活に根づかせることにあった。
 五輪を旗印にした政治的経済的国家事業推進か、五輪による国民の平和希求の拡大かの対立に、直面していた。
  しかし、マスメディアの多くは、招致の思惑やIOC委員の買収疑惑などに対する厳しい批判を避け、ルールを無視して、開催主体の東京都を頭越しにした政府による主導を当然のこととして、国家事業に迎合した。招致に先立って国民のスポーツ権を明記したスポーツ基本法が制定されたが、政府は五輪開催の税金投入の根拠として一面化し、スポーツ庁の設置で促進した。
 これに対し、マスメディアは、新しい権利を獲得した国民の自由で自主的なスポーツ参加を軽視した。五輪開催一辺倒のスポーツ行政の批判は姿を消した。
 それでも、不十分ながら、新国立競技場建設問題など膨大な税金を投入する、ずさんで放漫な開催計画を明るみに出して、3兆円開催と言われる実態の一部を暴露し、広域開催、1年延期、ほぼ無観客と場当たり的に暴走する国家事業への国民的な批判の声を高めた。
 一方で、政府を代弁するNHKや傘下に民放テレビを持つ全国紙はスポンサーとなるなど開催推進の姿勢を強めた。国民の期待を逆手にとって、相乗利益を狙ったことを否定できない。
 「がんばれニッポン」に国民を誘導し、健全なスポーツの発展を無視し、テレビショー化を容認した。
 コロナ禍の拡大で、政府や自治体の無策に対する国民の批判が大きな高まりを見せる中ですら、マスメディアの姿勢に大きな変化はなく、テレビを中心に、メダル獲得期待を煽り続けた。
 しかし、国民の政府不信は、政治的経済的に五輪を利用する実態の認識が高まるに従い、開催の意義を問い直す動きを見せ、マスメディア批判に火がついた。
 コロナ禍の感染対策は、無観客の異様な開催を余儀なくさせた。遅ればせながら開催に疑念を表明する新聞が増えたとはいえ、開催の是非を問うことから、観客を入れるかどうかに論点をすり替える政府に、マスメディアは手を貸した。

IOCの変質と自立せぬJOC


 理想主義的な貴族サロンと言われてきたIOCだが、今や政府のスポーツ行政担当者や企業役員出身者が委員の多くを占め、国家の強力支援による五輪の興行化推進へと変質した。
  長期に巨額の放映権料をもたらす米国テレビを主財源とし、世界のテレビやネットに傾斜を強め映像効果の高い競技を大量に抱え込んで、肥大化を招いた。
 テレビ主導の開催日程や競技種目採用が進み、熱中症対策や温暖化対策が五輪開催の深刻な問題となっている。 五輪がテレビショー化するのは必然で、IOCでは異常開催でも、存続すれば問題にならない。
 IOCが取材制限を強めたことで、マスメディアがIOCの実態を解明することは皆無に等しくなった。 揶揄することはあっても、変質が世界スポーツを歪めたことの総合的な批判がなく、国際的な競技団体の先頭に立って興行化へ邁進する姿は、国民には闇の中にあり続けている。
 五輪への日本の競技者の参加に責任を持つJOCは、政府に追随して、開催の是非に沈黙し、競技者の不安を封殺した。競技者第一をかなぐり捨て、国民の不安、不満を顧みなかった。1980年モスクワ五輪ボイコットを教訓に、政府からの自立を目指したはずだが、開催主体を担う役目を忘却して、政府に黙々と従った。
(スポーツジャーナリスト)
posted by JCJ at 01:00 | スポーツ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする