米国の報道写真家ユージン・スミス(1918―78年)が、1971年に熊本県の不知火海に面する水俣市で撮影した一枚の写真がある。「公害の原点」とされる水俣病を世界に告発したもので、胎児性水俣病患者の15歳の少女と浴槽に入る母を写した「入浴する智子と母」だ。
ほの暗い浴室の湯が輝き、湯船に浮かぶように浸かる上村智子さん。抱きかかえ、見つめる母の良子さんの眼差しは慈愛にあふれていた。母親が食べた魚の水銀を胎内で吸い取って、母やその後に生まれてきた子どもを救った智子さんのことを、良子さんは「ほんに智子はわが家の宝子(たからご)ですたい」という。
智子さんは撮影から6年後に21歳で亡くなる。死後も水俣病を象徴する一枚として脚光を浴び続けたが、両親は「亡き智子をゆっくり休ませてあげたい」と考えるようになった。著作権者のアイリーン・美緒子・スミスさんはその意向を受け、98年に「母子像の新たな展示や出版をおこなわない」と決めた。
それから20年以上にわたり、古い雑誌や写真集などでしか見ることができなかった。しかし、映画「MINAMATA」の公開を機に、アイリーンさんが遺族と話し合い掲載の承諾を得た。
私は封印が解かれたことを、読売新聞(9月16日朝刊)の文化面記事で知った。アイリーンさんは写真集『MINAMATA』の日本語版を復刻。「写真家には、被写体とその写真を見る人に対しての二つの責任がある」とのユージンの言葉を振り返った。水俣病の関係者や読者は、よみがえった「母子像」をどのように見るのだろうか。
朝日新聞(10月3日朝刊)は1面トップ、2面、社会面と3個面にわたり異例の大きさでユージンの写真や水俣病の歴史を伝えた。ただ、智子さんの入浴写真には触れていない。残念だったが、アイリーンさんに再度話を聞き、読売から遅れること1カ月の16日朝刊で写真の封印・解除についてフォローした。
毎日新聞(同)は、文化面に経済思想家の斎藤幸平さんの寄稿を掲載。水俣病を題材にした映画が封切られたとし、現在進行形の水俣病問題に焦点をあてた。「毒を飲まされ、苦しみ息絶えていく中にあっても、国家ぐるみに放っておかれた」と訴えた。
徳山喜雄
JCJ月刊機関紙「ジャーナリスト」2021年10月25日号