2022年01月03日
【リレー時評】沖縄返還50年と「やまとんちゅ」の責務=守屋龍一(JCJ代表委員)
軍部が暴走し、無謀な日米開戦「12・8」に突入して80年。反省どころか、いま日本の軍事費は6兆円を超え、GDP比1.09%に達した。
日本列島を、米軍オスプレイが我が物顔に飛び回り、米軍F16戦闘機は飛行中に重さ210s・全長4.5mの燃料タンク2個を、住宅地近くに投げ捨てる。
いまも過去最大の日米共同軍事演習「ヤマサクラ81」が自衛隊の伊丹駐屯地で行われている。6月には対中国を想定し日米共同の「オリエント・ シールド21」が矢臼別演習場、伊丹駐屯地、奄美駐屯地など、7カ所で実施された。
政府は「沖縄の負担軽減」を、とってつけたように持ち出して、北海道から奄美・沖縄まで、各地の自衛隊駐屯地との連携を図り、年間49回の日米共同訓練を通して「日米軍事基地化」、すなわち「本土の沖縄化」へと、 地均ししているのだ。
今年5月15日には、沖縄の本土復帰から50年を迎える。沖縄の人々はどんな思いに駆られるだろうか。復帰に込めた願いは、日本国憲法の下での基本的人権の保障と「基地のない平和な島」の実現だった。
だが「米軍基地の全面撤退」は拒否され、「核持ち込み密約」さえ明らかとなった。「本土」にある米軍の基地施設面積の7割を沖縄へ押しつけ、さらに辺野古の米軍新基地建設を強行する。「 美(ちゅ)ら海」の埋め立てに、沖縄戦犠牲者の遺骨が混じる土砂まで投入する。
歴代政府は、沖縄に犠牲を強いるだけでなく、人道上から見ても許されない「加害」を重ね、責任を取らないできた。
辺野古や高江で会った「うちなんちゅ」の顔が思い出される。琉球処分や沖縄戦での悲劇、「アメリカ世(ゆ)」での「島ぐるみ闘争」、これらの経験を通して共有する「うちなんちゅ」の怒りと矜持、 私は分かっていたのか、恥ずかしい限りだ。
「本土」からの目線で沖縄をとらえ、そこに生活している人々の苦悩や誇り、さらには歴史を踏まえた理解が浅かったのではないか。
あらためて沖縄の基地をめぐる様々な論争を耳にするとき、その論の是非よりも、今こそ「うちなんちゅ」の気持ちは、「沖縄へ返せ」なのだ。 あの「基地のない平和な御嶽(うたき)に霊がすむ琉球の島へ返せ」なのだ。そう思わざるを得ない。
私は月桃やデイゴの花が咲く沖縄の町を歩き、ガマを訪れ祈るとき、また「平和の礎(いしじ)」に触れるとき、「うちなんちゅ」の「命(ぬち)どぅ宝」への思いと合わせ、本土の政権が重ねてきた「加害」の重大さに気づく。そしてその責任を取らない政権を代える闘いを、「本土」でねばり強く広げることこそ、求められているのだ。
「本土」に生きる私はもう一度、日米両政府が担うべき「加害責任」を厳しく問い糺し、泡盛とイカ墨汁で意気投合した人々と一緒に、日本から基地を撤去する闘いに、力を注ぎたい。