東京五輪と北京冬季五輪は、テレビなど映像ショーに一面化された。その結果、見て面白い競技が追求された。
特徴的だったのは、スケートボード、スノーボードの拡大で競技者の低年齢化と、ケガと隣り合わせの危険が増大したことだった。まるで曲芸を争うような大技の連発で、スリル満点だが、競技者の危険負担は大きく、不安の声も起こった。
かつて、体操やフィギュアスケートで回転技が増加し、競技者の低年齢化と危険の拡大に、競技団体が規制に動いたことがあった。しかし、テレビ放映権料の魅力は事態をうやむやにさせ、緩和につながったようだ。
安全確保が財政の安定で薄れた歴史があ ショー化の進展で、多くの競技で刺激的な要素が増えるようになった。競技や競技会のあくなき商業主義化が、人間的な競技を危険な競い合いに追いやることを示している。ドーピング(禁止薬物使用)とともに、現代スポーツを大きく歪めた要因である。
ドーピングも、国ぐるみの疑惑が消えないロシアで、北京冬季五輪のヒロインになるはずだった15歳のワリエワ選手の悲劇に及び、低年齢化が深刻になった。商業主義化と、国家による政治利用が拡大し、大人の利益のために子どもが使われる危険が高まった。
国際スケート連盟は、あわてて、出場年齢引き上げの方針を示し、国際オリンピック委員会も動き出した。 他の競技団体は沈黙したままのようだが、ジュニア競技者を健全に育成する責任を放置できないだろう。
競技関係者の安全第一を目指す動きは強まっている。競技に影響を与えてきたマスメディア、とりわけテレビなどの映像メディアは、安全より刺激を求める姿勢を改めなくてはなるまい。最年少女王などと煽り上げてきた責任があるはずだ。
スポーツは、安全に安心して楽しむ人間的行為であることを忘れてはならない。
大野晃(スポーツジャーナリスト)