2022年03月30日
【追悼】外岡さん「記者カフェ北海道」最大協力者 若手励ます数々の教え 「規制恐れず」連帯呼びかけ=高田正基
外岡秀俊さんの急逝が報じられたのは1月7日。この間、外岡さんの朝日新聞時代や退職後のジャーナリストとしての業績、人柄については、かつての同僚や親しく接した人たちによって、さまざまに語られている。ここではJCJ北海道支部が若い記者たちの勉強・交流の場として開設した「記者カフェ北海道」の最大の協力者としての姿などから、外岡さんが伝えようとした思いの一端を紹介し、在りし日を偲びたい。高田正基(北海道支部)
2021年5月の第1回記者カフェのゲストスピーカーが外岡さんだった。テーマは「多メディア時代の記者」。話はそのまま、新人記者の教本になるような内容だった。
「わたしたちの仕事は現場に行かないとできないエッセンシャルワーカーだ」「取材の前に仮説を立ててみよう。仮説が裏切られるということは、知られていないことを自分が発見したということだ」「新しい任地に着いたら地元の小中学校の副読本で郷土史や地域の地理を勉強した」
メモの取り方や情報管理の仕方、インタビューの方法、さらには先輩・後輩との付き合い方に至るまで、どれもご自身が実践してきたことで、ベテラン記者にも参考になる教えだった。
朝日新聞の東京編集局長になったとき、「記者には抗命権があることを確認してはどうか」と提案したそうだ。上司から業務命令だと言われたときに、自分の良心に従って拒否できる権利がある、と。しかし部長たちから「それでは組織が持たない」と却下されたのだという。そんなエピソードも紹介し、ジャーナリストは自立した存在であれ、と語りかけた。
取材準備のノートや取材メモも、記者カフェの参加者に見せてくれた。自分が経験してきたことを惜しげもなく伝えようとする講義に、後輩たちへの熱い期待が感じられた。記者たちの疑問や悩みへの答えは要を得たアドバイスであり、何よりもエールであった。終わったときには予定時間を大幅に超えていた。
21年6月に旭川医大で起きた北海道新聞記者逮捕事件では、道新労組のインタビューで「公益性があるなら規制を恐れず取材を」と現場記者たちを励まし、この問題で「会社の枠を超えた報道関係者の意見交換の場を設けてほしい」と提案した。
その意を受ける形で11月にJCJ支部と道新労組が共催した第3回記者カフェでは「各社の記者が協力して権力を跳ね返してほしい」と記者同士の連帯を呼びかけ、最後にこう訴えた。
「個人に力はないが、皆さんの後ろには道民がいる。札幌市民がいる。取材先から文句を言われたら、そうタンカを切ってほしい」
組織論から言えば、外岡さんは管理職には不向きだったかもしれない。しかし、部下や後輩から見れば本当に信頼できる上司であり、先輩ジャーナリストであったに違いない。
新しいジャーナリズムを支えるのは若い記者たちだ―。それが外岡さんの強い思いだった。もっともっと語りたかっただろう。わたしも、もっともっと話を聞きたかった。
♢
外岡さんは、記者はエッセンシャルワーカーだということを最後まで実践した人だった。
コロナ禍の21年5月、札幌・大通公園で開かれたミャンマーの軍事クーデターに抗議する集会に、ノートとカメラを手にした外岡さんがいた。そのときわたしが交わした言葉はあいさつ程度だったが、肌寒い空の下で取材する姿が目に焼き付いている。
朝日新聞北海道版の連載コラム「道しるべ」は、コロナ禍にあっても現場を訪ね、人に会い、話を聞き、考えるということが徹底されていた。政治、社会、文化などテーマも幅広く、そこに豊かな知識と人間の営みへの優しいまなざしが織り込まれていた。
外岡さんにもう会えない寂しさを感じていたとき手にした本に、評論家の三浦雅士さんの言葉があった。
「文学者に死は存在しない。読み返せばたちどころに復活するからである」(井上一夫『渡された言葉 わたしの編集手帖から』)
ジャーナリストも然り。外岡さんに会いたくなったら、その著作を開けばいい。
JCJ月刊機関紙「ジャーナリスト」2022年2月25日号

