本書の内容は「『廃炉』という幻想」というタイトルそのものである。論点は著者が「はじめに」でまとめて記しており、少し要約して記すと以下である。@熔け落ちた炉心の取り出しはできないし、できたとしても行き場がない。A放射能汚染水対策がでたらめであったし、汚染水から捕捉した放射能の始末ができない。B経産省による環境復活事業費22兆円は全く足りない。C環境にある汚染土はごみとしてではなく再利用すべし。 私はCについては同意しないが、著者が報道記者として丹念に取材し、本にまとめてくれたことをありがたく思う。
そして、例えば核のごみの始末に、低レベルのものでも300〜400年、高レベルのものに至っては10万年間もお守りをしなければいけないことについて「言い方は悪いが、ほとんどお笑いの世界」と評している。原子力推進派がやってきたことは、すべてがその通りと私は思う。
国と東京電力は、福島原発事故の収束に向けてロードマップ(工程表)を書き、事故で熔け落ちた炉心を30年から40年の間に取り出すと言ってきた。しかし、すでに11年以上の歳月が流れたが熔け落ちた炉心がどこにどのような状態で存在しているか、未だに分からない。また、凍土壁などにうつつを抜かしている間に放射能汚染水がどんどん溜まり、国と東電はそれを海に流すと言いだした。しかし、それが彼らの思惑通りにできたとしても50年の歳月がかかる。福島事故の「廃炉」など、著者が書いている通り「幻想」だし、読者全員が死んでもできない。
(光文社新書1100円)
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