感染症の患者を、社会は往々にして危険で迷惑な存在として差別・排除する。しかし感染者は、最善の治療が必要な、社会が挙げて守るべき存在ではなか。
それがハンセン病国賠訴訟や薬害エイズ訴訟で感染者側代理人となった筆者の信念だ。何故そう考えるに至ったのか、差別はどのように起こるのか、克服の道は何か。実践的に「感染者差別」を考える書だ。
ハンセン病差別は、戦前は「国辱」論、「民族浄化」論、戦後は「公共の福 祉」論で正当化された。差別に関わったのは、隔離を推進した国だけではない。医師や教師、住民(隣人)が、患者をあぶりだした「無らい県運動」。あるいは、感染者の子の小学校通学にPTAが反対運動を起こした熊本の竜田寮事件(1954年)……。
らい菌の感染力は弱く、まして子供を排除する非科学性は明らかだが、社会にも偏見の根は深く下りている。
弁護士として間近に見たエイズ差別の分析も鋭い。行政の情報操作とメディアの喧伝で起きた高知パニックなどにより、血友病薬害の被害者である感染者は、逆に危険な加害者として指弾される側にされた。
被差別部落、朝鮮人虐殺へと筆者は視野を広げる。コロナ禍での感染者や家族、医療従事者への差別にも触れるが、ここは序説的な筆にとどめている。
評者はハンセン病問題検証会議のメンバーだった時、徳田さんと一緒に韓国のハンセン病療養所などを歩いた。徳田さんは、差別を糾弾するというより自分たちの問題でもあることを見つめる誠実な人柄だった。その姿勢は本書にも随所ににじむ。 (かもがわ出版3800円)
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