2022年10月09日

【今週の風考計】10.9─芭蕉「おくの細道」を巡って思い出すこと

嵐山光三郎さんの検証
10月12日は「芭蕉忌」。俳諧師・松尾芭蕉が、江戸時代も初期、将軍・綱吉が統治する元禄7(1694)年、旅先の大坂で病気にかかり51歳で死去した日だ。辞世の句が<旅に病んで夢は枯れ野をかけ廻る>。
 つい最近、嵐山光三郎『超訳 芭蕉百句』(ちくま新書)を読み終えたばかり。思いが広がる。本書は芭蕉の句から100句を選び、句の解釈も含め、現場を足で辿って得た新しい発見を加えた力作である。
芭蕉は伊賀上野で生まれ、江戸・深川に移住して以降、幕府から掘割の水道工事を請け負ってきただけに、芭蕉の忍者・隠密説が言われてきた。嵐山さんもこの説を受け入れ、「おくのほそ道」の旅が、仙台藩の探索も兼ねた旅であったとする。
 日光東照宮の工事費がかさむ仙台藩の謀反を警戒する幕府が、旅に出る芭蕉に諜報の仕事を下命し、同行した門人の曾良は、仙台藩の動向を記録する役だったという。
また嵐山さんの「現場検証」による新発見の一つは、江戸・深川で詠まれた<古池や蛙飛こむ水の音>を聴くため、近辺を歩き清澄庭園の池で観察すると、カエルは音を立てずに池の端から水中に入るのに気づき、芭蕉の創作だったことを挙げている。

黒羽と立石寺へ二人旅
さて「芭蕉好き」の筆者の思いも触れよう。「おくの細道」を全踏破している旅行作家の山本偦さんと、別の企画で仕事をした際、彼と共に栃木・黒羽へ行き、そして日を置いて山形の立石寺を訪れた際の思い出だ。
 JR東北本線西那須野駅からバスで「芭蕉の里」黒羽へ行く。芭蕉はここで14日、驚くほど長く滞在している。黒羽藩城代家老・浄法寺桃雪兄弟のもてなしもあったのだろう。
筆者たち2人はバスで城下から東へ約12キロの山中にある臨済宗・雲巌寺へ。芭蕉の<木啄も庵はやぶらす夏木立>の句碑がある。
 戻って常念寺には<野を横に馬牽むけよほととぎす>、修験光明寺跡には<夏山に足駄を拝む首途哉>の句碑と数多い。那珂川で育った天然アユの塩焼きにかぶりつき、「うるか」をアテに飲む地酒「旭興」が旨かった。
山形の立石寺へは、千段を超える石段に四苦八苦、休み休み登ったシンドイ思いが先立つ。<閑さや岩にしみ入蟬の聲>など、どうでもいいやの気分。
 後で加賀乙彦『わたしの芭蕉』(講談社)を読むと、この句について加賀さんは、「一気に完成させたのではない」という。推敲に推敲を重ねて、決定句へと昇華していった芭蕉の心の動きを丁寧にひも解き、納得したものだ。嵐山さんは、25歳で死去した俳人・蟬吟を追悼する句だという。

居酒屋「憂陀」の女主人
もう一つ、『江戸の女俳諧師「奥の細道」を行く』『芭蕉「おくの細道」の旅』(共に角川書店)の著者・金森敦子さんにまつわるエピソードを添えたい。
 新宿・神楽坂にあった居酒屋「憂陀」の女主人が金森敦子さん。画家の夫と共にカウンターに入り、酔人への応対に務めていた。筆者もここへよく飲みに行ったものだ。地域のなじみ客や絵描き、編集者らで満員。店での敦子さんは学者顔などせずに、いつもニコニコ。もう21年以上も前に閉鎖して店はないが、今はどうしているのかなー。(2022/10/9)
posted by JCJ at 01:00 | TrackBack(0) | 【今週の風考計】 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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