2023年04月18日

【寄稿】沖縄はまた「捨て石」か 「有事」報道洪水の罠=高嶺朝一 

                    
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 私たちは、毎日、テレビや新聞、インターネット媒体で、空に戦闘機、海に艦船、陸にはミサイルが林立するイラストを見せられている。琉球列島は全て無人島で人々の暮らしは存在しないかのようだ。どうしてメディアは、軍事化した出来事と見方を大量に流すようになったか。私たちは、いま巨大な誘蛾灯に引き寄せられる虫のような心理状況に陥っているのではないか。
「台湾有事」報道の洪水に危機感を抱いているのは私だけではないだろう。「有事」という用語は使ってほしくない。用語には人々を呪縛する力があり、「有事」対応が既定方針かのような意識にとらわれ、世論が形成される危険性がある。
 人々は、どうしてこうなったかを探るより最新の展開に強い関心があり、それゆえメディアは最新の情報を流し続ける。現在の問題の原因は過去のどこかにあり、将来、起こりうる不幸な事態を避けるためには、現在の問題を明らかにすると同時に、過去に戻って検証する必要がある。

安保関連3文書の本質

「…万が一、我が国に脅威が及ぶ場合も、これを排除し、かつ被害を最小化させつつ、我が国の国益を守るうえで有利な形で終結させる」(国家安全保障戦略V我が国の安全保障の目標)、前段は「…我が国自身の能力と役割を強化し、同盟国である米国や同志国等と共に、我が国及びその周辺における有事、一方的な現状変更の試み等の発生を抑止する」とある。当然、台湾や尖閣が念頭にある。
 太平洋戦争末期に大本営が「戦略持久」と称して採用した「沖縄捨て石」作戦とどこが違うのだろうか。
 開戦当時、沖縄は、日本本土と南方資源地域を結ぶ海空の連絡拠点にすぎず、防衛強化は太平洋の主導権が米軍の手に移ってからだ。1943年12月末、大本営陸軍部は兵棋研究の結果、国防圏の縦深を強化しておく必要から南西諸島の戦備を強化することになった。翌年3月、南西諸島防衛のために第三二軍が編成され、11月に決定された第三二軍の新作戦計画では、米軍の本土進攻を遅らせるために「戦略持久」と称して「焦土作戦」がとられ、住民の4人に1人が亡くなった。
 2015年7月、安保法制審議の衆院特別委員会地方参考人会が那覇で開かれた時、私は安保法制に反対する立場から次のようなことを主張した。
・東シナ海、南シナ海の小さな島々の領有権をめぐる争いは、漁業権や資源の探査をめぐるものであり、水産庁や漁業団体、海上保安庁などが中国や台湾の関係機関や団体と話し合えば解決可能。
・自衛隊が出てくれば軍事的な対立になる。「トゥキュディデスの罠」に陥るのを避けるべきである。古代アテネの軍人・歴史家は衰退する大国と台頭する大国との間で戦争が起こることを指摘した。
・尖閣問題は、米軍のアジア太平洋地域での兵力体制維持と予算獲得のため、そして自衛隊の役割拡大のために利用されてきた。安保関連法でいくらか縛りとなる条件をつけたにしても、日本人のメンタリティーからすると、米国の要求を拒否できるとは思えない。自衛隊の活動範囲は地理的な概念や任務の内容も際限のないものになる。
・平和憲法とともに歩んできた日本は、中国など周辺の国々と率直な対話を始めることが先で、あえて緊張を高めるような軍備の強化に前のめりになるべきではない。

日米同盟再定義の軌跡

 米国から見た安全保障環境の時期区分によると、ポスト冷戦期には米国が世界で唯一の超大国になり、ロシア、中国、その他の国も、米国の地位または米国主導の国際秩序に重大な挑戦をもたらすとはみなされなかった。ソ連という「共通の敵」を失った日米政府は、同盟再定義を迫られた。
 1995年9月、沖縄で3人の米兵による女子児童暴行事件が発生、米軍基地撤去を要求する声が高まり、クリントン政権は、対応を迫られた。大田昌秀知事の2期目だった。大田氏は学徒動員で沖縄戦を経験した元琉球大学教授。1996年4月、橋本首相とクリントン大統領による首脳会談で「日米安全保障共同宣言―21世紀に向けての同盟」が発表された。大田知事は、アジア太平洋地域に米軍兵力構成「約10万人」態勢の維持が首脳会談で合意されたことに反発した。将来も沖縄にアメリカの兵隊が居残り、米兵犯罪もなくならない。さらに「沖縄に関する特別行動委員会」(SACO)で決まった基地負担軽減策「米軍の施設及び区域を整理・統合・縮小」計画は、多くが県内移設を条件付きなので、住民の反対が予想された。
 米国のアジア太平洋シフトは、同盟国日本を取り込む形でポスト冷戦期に始まり、現在の「新たな大国間競争の時代」に軍拡が顕著になった。
 1995年2月、国際政治学者ジョセフ・ナイ氏がクリントン政権の国防次官補として「東アジア戦略報告(EASR)」を作成し、冷戦後の米国の東アジア安保構想を示した。これは、1997年の日米防衛協力の指針につながった。その後も対日外交の指針としてリチャード・アーミテージ氏らと超党派で政策提言した。2021年1月、バイデン政権発足で、アメリカ国家安全保障会議インド太平洋調整官兼大統領副補佐官(国家安全保障担当)に就任したカート・キャンベル氏は、ナイ氏に近い。二人は、最初から普天間飛行場の辺野古移設計画にかかわっていた。クリントン政権でアジア・太平洋担当国防副次官補、オバマ政権では東アジア・太平洋担当国務次官補を務めたキャンベル氏は著書「The Pivot: The Future of American Statecraft in Asia」(2016年)で中国の台頭に対応していくために米国の対外政策をアジアにシフトするように提言した。
 ナイ、キャンベル、アーミテージ、マイケル・グリーン氏ら超党派の元政府高官・政策立案者グループは、日本のメディアへの露出も多い。

冷戦思考の亡霊いまも

 「トルーマン以降の政権は、1989年に共産主義が崩壊するまで、ジョージ・F・ケナンの『封じ込め』政策のいろいろなバリエーションを採用してきた」(米国務省歴史課)。封じ込めの手段として政治、経済、軍事のいずれに比重を置くかの違いはあるにしても、歴代の政権は、対立と陣営選択を各国に迫った。バイデン政権も「封じ込め」政策の変形を推進している。冷戦思考は過去の亡霊ではない。朝鮮半島で生まれたある宗教が冷戦の戦士、「保守の政治服」を着て、日本と米国の政治に影響力を及ぼしたのは一例であって、さまざまな場面でワシントンと東京の政治を縛っている。
 日本は、多くの人が10年前にはタブーと考えていた「敵基地攻撃能力」(反撃能力)を保有することになる。国内総生産(GDP)比で1%に制限してきた防衛費を2%に増やす。次は安倍前政権の主な目標であった憲法改正である。まさか、と思っているうちに世論は時勢に流されてしまうかもしれない。憲法の平和主義を過小評価すべきではない。外交と民間交流の現場でもっと活用されるべきだ。前文と9条には隣の国々、地域、人々と仲良く暮らす方策が書かれており、国際社会で「名誉ある地位を占めたい」という決意が込められている。
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 たかみね・ともかず 元琉球新報社長、著書に『知られざる沖縄の米兵』(高文研)、共訳書『調査報道実践マニュアル―仮説・検証、ストーリーによる構成法』(マーク・りー・ハンター編著)
  JCJ月刊機関紙「ジャーナリスト」2023年3月25日号
posted by JCJ at 01:00 | TrackBack(0) | 寄稿 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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