2023年04月27日

【好書耕読】エラ・フランシス・サンダース『翻訳できない世界のことば』―「ヒラエス」を噛みしめて=吉田千亜(ノンフィクション作家)

 3月初旬、福島の友人に連れていってもらった福島市の小さな書店「Book&Caféコトウ」で、一冊の本と出会った。コーヒーの香りと穏やかな音楽。陳列本は、「これも読みたい」「これも」と次々に思う、大切な本ばかりだった。五感が優しく解放されるような不思議な店だ。
  その頃、「震災から12年」の文字がテレビや新聞で飛び交っていた。「3月ジャーナリズム」という言葉が、もう、あって良いだろうとも思う。
 原発事故の被害を受けた人たちから「3月頃になると体調が悪くなる」「そわそわする」といった思いを聞く。報道してほしい思いと、なぜ今だけなの、というもどかしさ。その報道を見たい、見たくない、の狭間で悶々とする、と。「希望」のみ強調する物語に、静かに傷つく人もいる。被害を覆い隠す報道には、自分の存在が否定されるように思う人もいる。特に、政府が被害を認めない地域の人たちにとっては。
 
  エラ・フランシス・サンダース『翻訳できない世界のことば』(前田まゆみ訳、創元社)を手に取ったのも、その、彼ら、彼女たちのもやもやした気持ちを考えていたからだ。
 スペイン語で「ヴァシランド」とは「どこへ行くかよりも、どんな経験をするかということを重視した旅をすること」を指す。あるいはドイツ語で「ヴァルトアインザームカイト」とは「森の中で一人、自然と交流するときのゆったりとした孤独感」を指す。
 こんな風に、心の「あわい」を、言葉にしていく作業が、世界中で営まれている。言葉の解説と共に描かれた絵にも、彩や形にふと笑みが溢れる。
 
  ウェールズ語の「ヒラエス」は「帰ることができない場所への郷愁と哀切の気持ち。過去に失った場所や、永遠に存在しない場所に対しても」と書かれていた。この「ヒラエス」を、避難者の集う団体が団体名に使っている。そういう意味だったのか、と改めて噛み締める。
 この「ヒラエス」を抱えて、3月をやり過ごす人たちがたくさんいるのだろう。言葉を紡ぐ作業を、諦めないために、いま、この本を机に飾っている。
「翻訳できない世界のことば」.jpg
posted by JCJ at 02:00 | TrackBack(0) | おすすめ本 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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