桜の便りがまだ届く前の3月、私は久しぶりに福井県の大飯原発を訪れた。福井県には廃炉を含めて原発は15基あり、5基が福島第一原発事故後に稼働している。
その中で大飯原発は4基あり、2基は運転を終了していて、3号基、4号基が稼働している。若狭湾岸に4基並ぶ姿は昔と変わらないが、何となく活気を感じないのは気のせいだろうか。
作家の水上勉が生まれたのはこの大飯町である。「いまは大飯町となったが、私のうまれた大正の頃は若狭本郷の岡田という集落で63戸あった。戸数はほとんど、今もかわらない。父は大工職人で母は小作をしていた」と描く、この故郷の原発に水上は大いに関心を持っていた。
1970年代末に京都でお会いしたときには「ここの電力はみな福井で賄っているのだから、大切に使わなければだめだ」といい、80年代初めには「もくもくと古都へ電力を送る若狭を私は愛するしかない」と書いていた。それが1986年のチェルノブイリ原発事故を契機に、次第に原発に厳しい姿勢を持つようになっていった。
「私は相変わらず、原発ドームの村でたじろいでいます。たじろぎながらも、言います。若狭の在所を第二のチェルノブイリにしてはならない、と」
翌年から連載を始めた長編小説『故郷』はそうした世界を描いているが、これが単行本になったのは10年後である。忘れられていることへの警鐘のように、世のなかに作品を再び問うたのだった。
そして1999年12月には「原子力平和利用の根本からの考え直しが迫られているように思う。私はプルサーマル反対の一言運動を今日から始めることにした」とのメールが送られてきた。
先般亡くなった音楽家・坂本龍一の最期のメッセージともいうべき「2011年の原発事故から12年、人々の記憶は薄れているかもしれないけれど、いつまでたっても原発は危険だ。いやむしろ時間が経てば経つほど危険性は増す。……」が『東京新聞』に掲載されたのは3月15日だ。
問題も次々生じている。1月には高浜原発4号基が自動停止する事故を起こし、敦賀原発2号基では再稼働に向けた審査で、資料の誤りなどが相次ぎ、原子力規制委員会は4月5日審査を中断し、原電に再度提出するよう行政指導した。
にもかかわらず岸田政権は、昨年12月22日、原発の60年超運転や新規建設を柱とする脱炭素社会の実現に向けた基本方針を決め、今年2月28日には、エネルギー関連5法案を閣議決定し、5月31日、法案は可決、成立した。
水上は、在所若狭に対して愛憎半ばしていたし、原発に対する心情は常に揺れ動いていた。しかし晩年には「叫び」にも似た声を発していた。岸田総理は、この水上の声を、坂本の声をどう受け止めるのだろうか。
JCJ月刊機関紙「ジャーナリスト」2023年6月25日号
2023年07月02日
この記事へのトラックバック