鶴彬(つるあきら)という人がいた。1938年に29歳で、獄中で死んだ。いや、権力に殺されたというほうが正しいだろう。
なぜ殺されたのか。鶴は川柳を武器として、反戦平和を訴えた。戦争へ突っ走る軍国政府にとっては、まさに目の上のたん瘤だった。学生や知識人らの反戦思想には目を光らせていた官憲だが、川柳までは目配せしていなかった。だが、庶民に届きやすい川柳が、反戦の武器になることに気づいた特高警察は、鶴に目をつける。鶴は逮捕され獄中で赤痢に罹患して29歳の若さで世を去った。官憲によって赤痢菌を注射されたとの疑惑も指摘されている。
著者の佐高信は鶴の周辺を丹念に漁っていく。その渉猟は、家族や友人や師事した先人、井上剣花坊、田中五郎八などの同時代の川柳人や反戦思想家のみならず、現代の澤地久枝や田辺聖子の著作や証言にまで及ぶ。また、鶴の業績を後世に伝えようと粉骨砕身した一叩人(命尾小太郎)の言葉や想いなどが幾重にも積り、鶴の全体像が浮かび上がってくる。この手法、まさに著者の真骨頂である。
そして思いがけぬ人物まで登場する。石川啄木である。確かに、帯に掲載された鶴の容貌は啄木によく似ている。「われは知る、テロリストのかなしき心を…」と書き残した啄木との共通性を、著者は感知する。そこから鶴のかなしいほど勁い反戦の意志が立ち上がってくる。これは、著者が若き川柳人の早すぎる死に捧げる鎮魂の書だが、それだけには収まらぬ反戦の書である。
(集英社新書980円)
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