反核はおろか、反戦の声すら届かず―。5月19日から21日までの3日間、世界最初の原爆被爆地・広島で開かれた先進7カ国首脳会議(G7サミット)は、核兵器の廃絶を願い世界の平和を希求する被爆者をはじめとする幾多の人々に失望と怒りを残して閉幕した。NATO諸国と日本がウクライナとともに対ロシアで結束を強め、「力には力を」と「核抑止論」の正当性をアピール。戒厳令下を想起させる異様な光景の中で繰り広げられた政治ショー≠フ「貸し舞台」に、ヒロシマは使われてしまったのか。報道のありようとも併せ、厳しく問い直されなければならない。
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G7広島サミット最終日となった5月21日、岸田文雄首相は原爆慰霊碑と原爆ドームを背に記者会見。前夜発表した首脳声明と前々夜に発表した「核軍縮に関する広島ビジョン」を踏まえ、「被爆地を訪れ被爆者の声を聞き、被爆の実相や平和を願う人々の想いに直接触れたG7首脳が、このような声明を発出することに歴史的な意義を感じる」と成果を強調した。
被爆者の怒り
しかし、誇らしげに画面に映る首相とは対照的に憤りを隠さなかったのは、カナダから広島市に帰郷していた被爆者のサーロー節子さん。首相会見終了後、原爆ドーム近くの施設にC7(C@D@ⅼ7=G7首脳に政策提言などを行う市民社会の組織)が設けた会場で会見し、「大変な失敗だった。首脳の声明からは体温や脈拍を感じなかった」と断じた。
初日にG7首脳はそろって原爆資料館を見学したが、その場面はメディアにも非公開で、首脳らがどんな表情を見せたのか、うかがい知ることはできなかった。一人の被爆者と対話をしたが、どんなやりとりがあったかもいまだに詳細は明らかにされていない。各国首脳がそれぞれ芳名録に書き残した言葉を全否定はしないが、サーローさんの「本当に我々の体験を理解してくれたのか、反応が聞きたかった」というのは誰しもの思いだろう。この一事を取ってもメディアの取材姿勢には疑問符が付く。
その声明とビジョンに核兵器廃絶の言葉はなく、核兵器禁止条約もまったく触れられていなかった―。「核なき世界」をライフワークと標榜する岸田首相の地元、広島で開くサミットだから、核兵器廃絶に前向きなメッセージが発出されよう。そんな市民の淡い期待さえ結果的には裏切られたのだが、その思いを伝えようとサミット開幕前から、広島ではいくつかの市民団体などがさまざまな取り組みを展開してきた。
その一つが、5月17日にあった「核廃絶を求めるG7サミット直前広島イベント」。TBS報道特集特任キャスターの金平茂紀さんが提唱し、日本ジャーナリスト会議(JCJ)広島支部や教科書問題を考える市民ネットワーク・ひろしまなどが後押しする形で「どんな声が今、広島から世界に届けられるべきなのでしょう」をテーマにシンポジウムを開いた。
会場は超満員となり、そこにパネリストとして登場した元広島市長の平岡敬さんは「戦争反対、核抑止力否定が一貫した広島の立場。この地から戦争や核兵器を肯定するような宣言が出たら、今後は広島の声が世界で信用されなくなる」と憂慮。うなずいた金平さんは、その後に発表された声明とビジョンを読み「平岡さんが言った通りで、広島はヒロシマでなくなってしまう」と顔を一段と険しくしていた。
このほか、C7の活動を広島で担ってきたメンバーが軸になって主催した「みんなの市民サミット2023」(4月14〜16日)では、「どうやってつくったの 核兵器廃絶提言」と題した分科会があり、核兵器廃絶を成し遂げるには何が必要か、一般市民も多数参加し意見を交わし合った。予期した通り思わしい成果のなかった広島サミットだったが、世代を超えて幅広い人たちが繋がり、声を上げたことの意義は小さくないだろう。
歓迎報道盛ん
地元メディアでは、こうした取り組みを含め事前からサミット関連報道が盛んになっていたが、本番を迎えるとテレビはキー局も加わって「特番」を組み逐一生中継、新聞も全国紙、地元紙入り乱れて大々的な報道が展開された。特に焦点となった核兵器廃絶をめぐる議論、その結果として出された首脳声明と広島ビジョンについて、NHKをはじめ放送各局は総じて批判よりも評価するものが多く、新聞では従前からの報道姿勢の延長なのか、社によって論調が分かれた。紙幅の関係もあり、個々の記事についての論評はしないが、全体として現実的見地からの核抑止論是認に傾斜していた感が拭えない。
そうした中、当然ながら質量とも他を圧倒したのは地元紙の中国新聞。歓迎や期待が目立った事前の紙面づくりへの苦言は多々あるが、会期中とその前後の報道は多くの読者の共感を呼んだと思える。とりわけ21日付一面に掲載された「『広島ビジョン』と言えるのか」と題した金崎由美記者(ヒロシマ平和メディアセンター長)の署名記事は、ビジョンについて「肝心の中身は自分たちの核保有・核依存を堅持したに等しく、被爆地広島にとって受け入れがたい」と言明しており、強く印象に残った。
この後、ウクライナのゼレンスキー大統領が電撃参加してからはメディアの関心もゼレンスキー氏の動向に移り、サミットの主題もG7各国がウクライナ支援を強化する方向へ動いたことへの編集委員の署名記事も目を引いた。「『ゼレンスキー旋風』のサミットでいいのか」と疑念を呈し、「戦争当事国の一方への軍事協力や支援拡大を決めることが広島サミットの意義だろうか」と問いかけた。その通り、ゼレンスキー旋風にあおられ「岸田劇場」への喝采で「反核・平和」を願うヒロシマの声がかき消されたとすれば、メディアの責任はあまりにも重い。
メディアの役割を問いたいことは他にもある。華やかな表舞台の演出の幕裏で何が行われたのか。それも見過ごすわけにはいかない。
「有事」実験か
極めて重大なのは市民生活を圧迫してまで厳重な警備態勢が敷かれたことだ。期間中最大2万人を超える警察官が全国から広島に動員され、各国首脳らの滞在先や訪問先での立ち入り制限、移動に伴う大規模な交通規制などが行われた。特に「入域規制」というのが主会場となったプリンスホテルのある広島市南区元宇品地区のほか、世界遺産・厳島神社のある廿日市市の宮島でも実施された。島の住民と必要な業務で出入りする人には「識別証」を交付し出入りを認めるが、それ以外の観光客ら島外から来る人は入島できない措置が取られたのだ。
この入島制限に疑問を抱いた行政法学者の田村和之広島大名誉教授が「何ら法的根拠はないはずだ」と指摘したのを受け、JCJ広島のメンバー2人が廿日市市に公開質問状を出した。回答はあったが納得できなかったため、外務省を含む関係各方面に問い合わせたところ、いずれも「法的根拠はありません。規制はあくまでお願いです」との返答。そこで規制が始まった18日午後、メンバーらは田村さんとともに宮島に渡るフェリー乗り場に出向き、外務省職員とやりとりした結果、識別証なし、本人確認もなし、手荷物チェックを受けただけで島内に入ることができたという。
この顛末は何を物語るのだろうか。廿日市市や広島市が、国の意向を忖度して自主的にここまでやるとは考えにくい。識別証の発行元は外務省というのだから、政府からの指示≠ェあったとみるのは当然だ。この機(G7サミット開催)を捉え、政府が「有事」に備えた国民統制の実験を試みたという見立てはうがちすぎだろうか。「過剰警備に市民困惑」といった報道にとどめるのではなく、こうした視点からの取材こそジャーナリズムには求められるのではないか。
JCJ月刊機関紙「ジャーナリスト」2023年6月25日号
2023年07月27日
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