平和記念公園は原爆の無差別殺戮の犠牲者追悼の象徴だ
G7広島サミットが閉幕して40日後の6月29日、広島市の平和記念公園と米ハワイ州のパールハーバー国立記念公園との間で、「姉妹公園協定」なるものが締結された。広島市で5月にあったサミットを機に米側から打診があり、同市が応諾の意思を公に表明したのが、調印予定日1週間前の22日のことだった。
この姉妹公園協定について松井一実市長は「かつて敵味方に分かれていた日米両国の市民にとって友好の懸け橋になる」と、その意義を強調している。しかし、あまりにも唐突な「合意」に戸惑った市民は少なくなかった。
広島県被爆者団体協議会(佐久間邦彦理事長)、県労連など10団体でつくる「G7広島サミットを考えるヒロシマ市民の会」は「協定締結をいったん保留し、全市的な議論」を始めるよう市に求めた。その後も別の団体や市民が街頭宣伝、声明を発表するなどして反対の声を上げ続けている。
地元紙中国新聞は、松井市長会見後の25日、広島大学平和センター長である川野徳幸教授の見解を掲載した。
同教授は「旧日本軍による真珠湾攻撃と米軍の広島への原爆投下が、同一線上で語られることの違和感」を述べたうえで、「真珠湾が戦争の始まりでその帰結がヒロシマだとすれば、原爆を落とされたのは『因果応報』で『正しかった』とされかねない」との危惧を表明した。
元広島市長の平岡敬氏も翌日の紙面で「(パールハーバー)国立記念公園の主要施設は軍艦の名前で、死者を戦争の英雄として顕彰する面がある。原爆投下は戦争終結のため必要で正当な行為、という歴史観と地続きだ」として、二つの公園を同列に置くことを痛烈に批判している。
日本近現代史に詳しい歴史学者、高嶋伸欣琉球大名誉教授の指摘も紹介しておきたい。
高嶋さんは、これまでに真珠湾にあるこの国立公園を2度訪問した。公園内には、アリゾナ戦勝記念館をはじめ、いくつかの戦勝記念の施設がある。その一つ、岸壁に係留された潜水艦ボーフィン号の艦橋側面には、同艦が沈めた日本艦船の数が「日の丸」の数で誇示されている。しかも、その撃沈船の中に、沖縄からの学童疎開船「対馬丸」が含まれていることを、展示場職員が高嶋さんに語ったというのだ。
公園は海軍基地内にある。立ち入るには荷物制限も受ける。出入り自由な広島平和記念公園とはさまざまな点で異なる佇まいだといえる。
いま広島では、市教委が平和教材を改訂し、「はだしのゲン」や第五福竜丸の記述を削除するとともに、「原爆を落とした米国人を恨むな」という指導を露骨に進めようとしている。
このたびの姉妹公園協定の締結はその延長上にある。被爆地の市長としてあるまじき行動というほかはない。
戦果を誇るようにボーフィン号の艦橋側面に描かれた「日の丸」群=高嶋伸欣さん撮影
JCJ月刊機関紙「ジャーナリスト」2023年7月25日号
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