2023年08月13日
【放送法】「政治的公平」解釈変更とジャーナリズムの課題=立憲民主党・小西洋之参院議員寄稿
私は総務省の心ある官僚から提供を受けた内部文書を3月2日に公表し、安倍政権下の放送法の番組準則「政治的公平」の解釈改変の追及が行われた。実は、高市大臣の「捏造」発言の影で、3月17日の外交防衛委員会での総務省答弁によって「極端な場合は、その一つの番組だけで政治的公平を判断できる」との違法な2015年解釈は、「常にそれを含む放送局の放送番組全体のバランスを見て判断をする」と従前の解釈へと全面撤回されているのだが、それに関するテレビ報道は皆無である。本稿では政治の側から見た本件を巡る放送ジャーナリズムの課題について記したい。
文書公表後の報道
消極姿勢のテレビ
公共財産であるテレビ電波によって放送局の公的使命を果たす責務を負う民放、NHKにあっては、自らの「番組編集のあり方」、すなわち放送局としての存在意義そのものが懸かった問題として、政府与党に忖度等することなく本件を徹底的に取材し、報道する必要があった。すなわち、内部文書を基に関係者に取材を重ね、あるいは、専門家による2015年解釈などの分析評価を得ながら、事件の真実、番組制作現場への影響、政治介入と放送の自由の課題などを報道する責任があったはずである。
特に、私が公表した文書は、解釈改変の約半年間の全ての経緯について政治家と官僚の発言録等とその際に使用された資料などがフルセットで備えられた「超一級の行政文書」であり、こうした取材・報道を十分に可能とするものであった。しかし、今日に至るまでまとまった調査報道は一部を除いて行われていない。本来であればNHKスペシャルで放送して当然のはずである。
なお、文書を公表し予算委質疑が始まっても各局の取り上げ方は及び腰であり、結局3月7日に総務省がその存在を認めてからようやく内容のある報道が始まった。また、最後まで私に対する映像取材は全くなかった。かつて、日本学術会議会員の任命拒否、黒川検事長の定年延長の違憲・違法を立証する法制定時の内閣法制局審査資料(国立公文書館保管)を公表した際などとは明らかに違う対応であった。
違法解釈全面撤回
しかし放送は皆無
そして、総務省の志ある官僚らとの議論により3月17日に違法解釈の全面撤回を実現できたにも関わらず、この事実を放送したテレビ局は本日に至るまで皆無である。この解釈撤回は、朝日新聞と東京新聞が社説報道し(東京新聞は他紙面でも報道)、当然テレビ各局は知っているはずである。国民から負託された放送の番組編集の自由に関する政府解釈が国会質疑で180度変わったことを報道しないで、国民がそのテレビ局の番組編集の自主自律を信頼することができるのだろうか。NHKにおいては受信料を国民に求める資格放棄との自覚があるのだろうか。
報道記者の育成訓練
独立第三者委が必須
依然として続いているテレビ局経営トップと総理との会食などを見ると、良心ある記者の社内での苦労が拝察されるが、第二次安倍政権以降のあらゆる違憲・違法を追及してきた政治の現場からは、テレビ局の報道記者に法令解釈を含む法制度や行政組織などについて意義ある取材・報道を行うためのスキルを体得する訓練の機会がないことが致命的ではないかと考える。こういう文書にこういうことが書いてあっただけではなく、その法的意味や政治・行政的な意味を読み取る力がなければ現在の違憲・違法の専断政治で国民の自由と民主主義を守る報道、さらには、自らの言論の自由を守る報道は困難である。
例えば、私の「衆院憲法審の毎週開催はサルがやること」といった(オフレコで即時撤回した)発言を報道しても、「衆院の国会議員の任期延長改憲」が参院緊急集会(憲法54条)の矮小化という憲法規範と立憲主義に反する空前の暴論であるという当該発言の真意、そして、オフレコ会見で説明していたように、今国会で私が参院憲法審で敢えて緊急集会を議題とし、憲法論的にも政治的にも当該改憲を不可能にした事実については、テレビ報道はゼロである。また、発言当時には、集団的自衛権行使容認を巡るフジテレビの偏向報道のBPOへの申し立てという手法についての元放送政策課課長補佐の知見からの指摘を「放送局への威圧」などと(担当記者の唖然とする無理解や意図的な切り取り報道などによって)朝日新聞に攻撃もされた。
専門的スキルを体得しなければジャーナリズムの使命の全うは困難である。諸外国並みの放送免許等を監理する独立第三者委員会の設置の法改正とともに、志ある記者の皆さんとそうした機会を共有したいと考えている。
JCJ月刊機関紙「ジャーナリスト」2023年7月25日号
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