2023年09月17日

【オピニオン】核抑止論を否定した 被ばく78年 2つの平和宣言 広島は揺れ動いた=難波健治(広島支部)

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    8月6日、広島平和記念式典

この夏、被爆地・広島は揺れた。そして、一つの確かな手応えを得た。市民が動けば、被爆地の政治を動かすことができるという体験である。「被爆者の思いを無視して核兵器禁止条約の枠組みに入ることを拒み続ける人物は、被爆国の首相として居続けることはできない」――そんな確信を市民に抱かせるほどの「熱い」体験であった。
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          黙とうする市民たち
 「核抑止論にこれほど焦点が当たった原爆の日はかつてなかったのではないか」。これは、平和記念式典翌日の7日付、地元紙・中国新聞社説の書き出しである。
 背景には、5月に広島で開いたG7サミットが初めて打ち出した核軍縮文書「広島ビジョン」があった。岸田文雄首相を含むG7首脳たちによるこの声明は、「核兵器は存在する限りにおいて防衛目的の役割を果たす」と明記し、核抑止を正当化した。核廃絶への具体的な道筋は何も示さなかった。
 文書が公表されたのはサミット初日の5月19日夜。首脳たちはこの日、原爆資料館を見学し、被爆者の証言に耳を傾け、慰霊碑に花輪を手向けた。しかし核兵器を保有し、核に依存する当事国としての責任感は文書から何も伝わらない。核兵器禁止条約の意義は無視され、核兵器「廃絶」の文字もない。

 広島は、サミットの議長を務めた岸田首相の地元であり、選挙区でもある。
 被爆者団体は動いた。市民も動いた。市役所を訪れて要請文を渡し、街頭でも訴えた。「松井一実・広島市長は8月6日の平和宣言で、『広島ビジョン』の核抑止肯定を否定せよ」「国と自治体は、考えが違って当然だ」と。そこには、「『広島ビジョン』が被爆地広島の考えだと世界の人々に受け止めたら、今後、広島の核兵器廃絶の訴えは説得力を失うだろう」という、強い危機感があった。

 そして8月6日、2023年広島の平和宣言が発せられた。松井市長は、「核抑止論は破綻している」と明言した。「世界中の指導者は、このことを直視し、私たちを厳しい現実から理想へと導くための具体的な取り組みを早急に始める必要がある」と呼びかけた。
 付言しておきたい。式典のあいさつで毎年のように核抑止論を否定してきた広島県の湯崎英彦知事はどう語ったか。
「核抑止論者に問いたい。核抑止が破綻した場合、全人類の命に責任を負えるのですか」と問いかけ、ロシアのウクライナ侵攻をめぐっては「ウクライナが核兵器を放棄したから侵略を受けているのではありません。ロシアが核兵器を持っているから侵略を止められないのです」としたうえで、この構図は「予想されてきたことではないですか」と核抑止論の矛盾を突いたのだ。

                 核なき世界へ行動を
 さて、岸田首相である。式典でのあいさつや被爆者団体の要望を聞く場で核抑止論についての明確な説明はなかった。
 8日の記者会見で松野博一官房長官は「米国が核を含むあらゆる種類の能力を用いて、日米安全保障条約上の義務を果たすことに全幅の信頼を置いている」と述べた。ミサイル発射などを繰り返す北朝鮮などを念頭に「核抑止力を含む米国の拡大抑止が不可欠」との考えも示した。そのうえで「核兵器のない世界に向けて現実的で実践的な取り組みを継続、強化していく」と語ったのである。

 この夏、私たちは学んだ。核抑止論に立つ政治家たちが口にする「核のない世界」は、私たちが願う「核兵器廃絶」とは違うこと、むしろ「核兵器を存続させるための核軍縮」だということを。

 核抑止論を否定した今年の広島平和宣言について中国新聞は7日付2面で次のような指摘をした。
 松井市長が読み上げた宣言は、「広島ビジョン」をそのまま引用した。その原文である外務省の和訳は、英語の本文に照らすと趣旨が捻じ曲がっている。「国の安全保障を損なう恐れがある限り、(核兵器)廃絶はできない」というのが「ビジョン」本来の意味。その点で今年の平和宣言は、核抑止論を否定とともに、この「条件付きの核兵器廃絶も明確に否定する必要がある」と書いた。

 私たちは事柄の本質を正確に把握したうえで行動しなければならない。
 いま広島では、日米が共に手を携えて戦うための世論づくりと思わせるような事態が続いている。
 広島市教委作成の平和教材「ひろしま平和ノート」が改訂で、この春から『はだしのゲン』(中沢啓治・作)が削除された教材が現場で使われ始めた。同時に第五福竜丸事件も教材から消え、さらに、原爆を投下した米国を「赦(ゆる)し」たうえで「未来志向」で日米の「和解」と「提携」を勧める著者による「父の被爆証言」が大々的に掲載された。
 サミット閉幕後、発表された広島市の平和記念公園と米国ハワイ州にある「パールハーバー国立記念公園」の「姉妹公園協定」も、議会への説明もなく、寝耳に水のような出来事だった。
 太平洋戦争開戦の端緒を開いた真珠湾攻撃と、「戦争終結のためだった」と米側が説明する原爆投下地との姉妹協定は、原爆投下は「因果応報」で「正しかった」と理解されかねない。
 「締結はいったん保留し、全市的な議論を」という市民の申し入れは無視され、調印は1週間後に行われた。

 このようにこの夏、広島は揺れ続けた。市民は声を上げ、メディアも「この広島ビジョンは受け入れがたい」と間髪入れずに主張した。この動きに押される形で平和宣言は、異例の強い調子で核抑止論を否定した。
 しかし、「ウクライナの次は台湾有事」という主張に呼応する大軍拡路線が政府から提起され、市民に対する教育宣伝工作のような試みが、軌を一にして表面化している。
 この夏の確かな手ごたえを踏まえ、「戦争のために、ペンを、カメラを、マイクをとらない」取り組みを、私たちジャ―ナリストも周到に準備しなければならない。
    JCJ月刊機関紙「ジャーナリスト」2023年8月25日号

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