2023年10月08日

【日韓学生フォーラム】韓国戦後史の現場を訪ねる ノグンリと済州島へ ジャーナリストを目指す若者=古川英一

                     
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 「歴史は止まっているのではなく。現在も動いている」日本と韓国の学生たちを前に、韓国・済州島の姜市長は穏やか口調で語った。相互の国の歴史を学び、交流し合う「ジャーナリストを目指す日韓学生フォーラム」の8回目が8月末に4泊5日、韓国で行われた。
 フォーラムは現役や0Bの記者など有志が立ち上げJCJのメンバーも加わっている。今年で7年目を迎え、今回は、賛同してくれた韓国記者協会が韓国の戦後史の現場を訪ねる企画を考え、約30人が参加した。

 まず訪れたのはソウルからバスで約3時間、南下したところにある老斤里(ノグンリ)。ここでは朝鮮戦争勃発当初の1950年7月に、米軍によって400人もの住民が虐殺されたとされる。当時のままの鉄道の跨線橋には、銃弾のあとが生々しく残され=写真=、生き延びた83歳の男性の「撃たれるとわかっていても空腹で食べ物を求めて出てきた人を銃撃した」という証言に学生たちは言葉を失ったようだった。またこの事件は親米的な軍事政権が続いていた韓国では封印され、その事実を明るみにしたのはそれから約50年後アメリカのAP通信の報道によってだった。ノグンリ国際平和財団の鄭会長は「真理と真実、強い人ではなく弱い人のための、ジャーナリストになってほしい」と呼びかけた。

 続いて訪れたのは済州島。観光地として人気が高くソウルからの飛行機も観光客で満員。しかし、この島こそ多くの住民が犠牲になった戦後史の現場だ。済州島4・3事件は、1948年、済州島で左翼の人たちと米軍政下の政府が衝突、以後数年にわたり多くの島民が殺害された。平和公園には、犠牲者1万5千弱の名前が出身地ごとに刻銘されている(実際にはその倍近くの人が犠牲になったという)

 慰霊の塔の前で全員で黙とうをした。済州島では、このほか、旧日本軍が本土襲撃に備え、7万人を集結させた飛行場の跡地や、現地住民が避難した洞窟などに足を運んだ。
 現地の人たちの話を聞き、歩いて、フォーラムの参加者が確認したのは、こうした事件は日本の植民地支配がなければ起きなかったこと、だからこそ日本人として無関心であってはならないということだった。参加者の一人は「この2つの事件を伝えていく当事者になった」と決意を語った。
           JCJ月刊機関紙「ジャーナリスト」2023年9月25日号
posted by JCJ at 01:00 | TrackBack(0) | Editorial&Column | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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