能登半島地震に見舞われた年明けの日本列島、岸田政権はますますレームダック化している。
いま改めて岸田文雄首相の「話す力」の乏しさを思う。ひるがえってみれば、菅義偉の言葉は迫力がなかったし、安倍晋三は饒舌だったが、中身がなかった。というより安倍の場合は、その場限りの無責任な言葉だった。
私は一度だけある書籍の出版記念会で、安倍の挨拶を間近に聴いたことがある。5分余り、何のメモも見ず、800頁を超える大部な学術書のあらすじを簡潔に説明した後、自分はどこに感銘を受けたかを語っていた。誰かがメモを渡していたとしても、付箋の付いた本を掲げながら列席者に語りかける姿は見事なものだった。しかし、明日にはもうこのことは忘れているのではないかと思ってしまった。安倍の語りは、その日、そのとき聞いている人の耳にどう響くかだけに関心があるようだった。それは計算された上でのことというより、その場に最も合うパフォーマンスは何かというところから作られている。だから今日言ったことと明日言うことが違っていても気にならないのである。「桜を見る会」前日に開かれた夕食会の費用補填問題について、首相在任中118回の虚偽答弁があったというが、さもありなんである。安倍本人がいなくなれば、派閥自体が立ち行かなくなってしまうのも必然だろう。
なぜ最近はこうも政治家の言葉が軽くなってしまったのか。
武田泰淳の『政治家の文章』(岩波新書)を披くと、保守革新を問わず、政治家の真の言葉がいくつも出てくる。
浜口雄幸の『随感録』には「政治が趣味道楽であつてたまるものか、凡そ政治ほど真剣なものはない、命がけでやるべきものである」とあるし、重光薫の回顧録『昭和の動乱』には、「いかに手際よく、その日の舞台劇をやつて見せるかに腐心するのが、また政治家であつて、国家永遠のことを考ふるの余裕を有つものが少い」などとある。
近年では、福田赳夫の『回顧九十年』(岩波書店)を読むと、なるほどと思うような言葉も多い。また鯨岡兵輔には「核兵器で殺されるよりも核兵器に反対して殺される方を私は選ぶ」というような有名な言葉がある。こちらが年を重ねたせいだけでもあるまい。
引退した後の回顧録は皆いいことばかり書くのではないですか、と言われそうだが、回顧録でも取るに足らないものもあるし、それだけではない。
二二六事件直後に粛軍演説で陸軍を批判した斎藤隆夫のようにとは言わないまでも、最近与野党の政治家で研究会が発足したという石橋湛山に学ぶことも必要だろう。例えば1921年7月『東洋経済新報』の社説欄に掲げられた「一切を棄つるの覚悟」「大日本主義の幻想」などを読むならば、「話す力」は復権すると思うが、果たしていまの日本にそれらをきちんと受け止められる政治家はどのくらいいるのだろうか。
JCJ月刊機関紙「ジャーナリスト」2024年1月25日号
2024年02月04日
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