2024年04月30日

【リレー時評】原発の新増設、能登地震あっても進めるか=白垣 詔男(JCJ代表委員)

 今年は元日に能登地震が起こり、「地震列島・日本」の恐ろしさを再確認した。発生時には「地元の志賀原発が休止中だったので、放射能汚染はコトなきを得た」と報道された。しかし、「油漏れがあった」と報じられ、「大したことがなかった」と胸をなでおろしたが、その後、「漏れた油は2万リットル以上」と分かった。「油漏れ」という軽い表現では想像できない「大きな事故」で海の汚染がひどかったのではと思ったが、続報がなかった。

 万一、志賀原発で事故があった場合、能登級の地震だったら、「東北」の二の舞になっていたと恐怖感に襲われた。原発事故があった場合、避難のための道路が寸断されて住民は逃げられず汚染されるしかないという「恐怖」を覚えた。
 能登地震は、原発事故がなく放射能汚染にさらされなかったので、「故郷を失う」「災害後は住んでいた場所に帰れない」ことはなく、地震で被害を受けた地域は、住宅が再建されれば、「元の生活」に戻れる。そこが「東北」と大違いだ。
 東北は、震災後13年たった今年3月11日現在でも「帰還困難地域」がなくならず、依然として「故郷に帰れない」住民も多数いるほか、帰宅をあきらめて「故郷を捨てざるを得ない人々」も相当数いて、心が痛くなる。
 東北と能登の2つの大地震を比較するだけで、原発がいかに危険なものか、「地震後の状況」をみれば容易に分かる。

 しかし、それでも岸田文雄政権は、「原発新増設」「稼働期間の大幅延長」を打ち出したままだ。狂気の沙汰と言うしかない。国民や原発周辺の住民の立場から考えていないことの表れだ。電力会社など原発を必要としている企業側からの発想しかないのは、そうした企業側からの「献金」を続けてもらうためとしか考えられない。「裏金問題」が指弾されている自民党だけに、国民全体のことを考えない姿勢は明らかだ。こうした自民党には退場してもらうほかはない。

 また、裁判でも、電力会社の責任を認めない判決は多いが、「監督責任がある国」に対しても免責判決が大半なのは、裁判官が国に忖度しているとしか思えない。3月7日に大分地裁であった「伊方原発差し止め訴訟」で、武智舞子裁判長は住民側の主張を認めず、運営する四国電力の言い分を受け入れた。3月29日の福井地裁の「美浜・高浜原発差し止め訴訟」でも、加藤靖裁判長が住民の仮処分申請を認めなかった。
 自らの出世を第一に考え、上(人事権を持っている政府)ばかりを見ている「ヒラメ裁判官」の典型と言えよう。
 日本のように、どこででも大地震が起こる恐れがある国で、原発を動かそうというのは、国民の命を「人質」にしていると言ってもいいだろう。
 「原発がなくても電気は足りている、だから地震国家・日本には原発は要らない」と考えるのが良識ではないのだろうか。
  JCJ月刊機関紙「ジャーナリスト」2024年4月25日号
posted by JCJ at 02:00 | TrackBack(0) | <リレー時評> | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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