2024年05月12日

【オピニオン】新NISAで[経済格差]が加速 貧困層に無縁な投資話=木下寿国

 絶対にやったほうがいいよ」−−。先日7年ぶりに開かれた田舎の同窓会に出席した折、小中学校時代を通じて常に成績の一番良かった友人が新NISAを推奨していた。

 人には、それぞれ人生のステージに応じて興味を持ちやすい話題があるようで、その日は、それが投資話だったということだ。どこそこの株式を買えば得だといった話に加え、件の友人が入れ込んでいたのが、今年からスタートした新NISAだった。
 たしかに大金持ちでもないわれわれが、苦しくなるばかりの世の中で、手持ちの虎の子を少しでも増やしたいという気持ちは、とりわけこの歳になってみればよくわかる。口を極めて非難するのもどうかと思われるが、投資で得られる利得というのはしょせん不労所得、褒められたものではないとも思う。ただ、そんな紋切り型の批判を口にしたところで、夢中になっている彼らを説得することはできないだろう。

「貯蓄から投資へ」を標ぼうする政府は、1月から新NISAを始めた。『文芸春秋』5月号の「伝説のサラリーマン投資家が明かす個人資産800億円の投資術」は、新NISAを「投資の利益に対する課税がゼロですから『やらなきゃ絶対に損』という夢のような制度」だと持ち上げている。
ところが同記事を読み込んでいくと、結局、その場その場であらゆる状況に注意を払わねばならず、いわゆるこれだという単純な「投資術」なるものはないことがわかる。

 経済評論家の荻原博子氏は、プレジデントオンラインの記事で、新NISAについて「おやめなさい」と警告している(「金融庁の右肩上がりの新NISAグラフは無責任」)。株は上がるばかりではなく下がることもある、「落ちてもまた戻るなんて誰にも保証できない」「銀行や証券会社も、値下がりしても責任をとってはくれません」などと、反対の理由をいろいろと述べている。
 筆者も、その通りだと思う。ただ、この制度の本当の問題は、そうした技術的な課題よりも、もっと別のところにあるような気がする。それは、新NISAも含め投資という仕組み自体がきわめて不公平なカラクリの上に成り立っているものだということだ。

 新NISAは投資利益に課税されない。そこだけを見れば、政府は極めて気前が良いように見える。本来課税すべき分を負けてやっているのだから。しかし全体を見回してみれば、政府は決して誰に対しても気前よくしているわけではない。対象は、投資をしてくれる人や投資ができる裕福な人たちだけなのである。では、彼らに負けてやった税金はどうするのか。言うまでもない。貧困層も含めた一般国民から徴収した税金で賄っているのである。 

 これは、明らかな所得移転といえる。少々極端な言い方をすれば、貧乏人の苦労の上に成り立っているのが、新NISAという不公平かつ不公正な仕組みなのではないか。こうしたことを推し進めていけば、待っているのは国民経済の一層の二極化だろう。それは、亡国の道でもある。
岸田首相は登場してきたとき、「新しい資本主義」とか「成長と分配の好循環」などのスローガンを掲げていた。まるで小泉政権以来の行き過ぎた新自由主義路線を是正しようとするかのように。ところが、いまやっていることは、まさに強欲資本主義の王道そのもののように見えてならない。
木下寿国
posted by JCJ at 01:00 | TrackBack(0) | オピニオン | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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