何か感じてはいるのだが、その正体がよく分からずモヤモヤすることがある。だがそれに名前が与えられて、ああ、そういうことだったのかと理解できた経験が、誰にでもあるだろう。まさに本書がそれである。
本書のサブタイトルには「なぜ<勇気と感動>は利用されるのか」とある。権力や経済の黒い部分をスポーツの美や感動によって、うまく洗い落す。つまりウォッシング(洗濯)することで本質を覆い隠す。もっと端的に言えば、政治とスポーツの歪な関係を、著者はスポーツ・イベントの歴史を紐解きながら見直していくのだ。
ナチス・ヒトラーによる1936年の「ベルリン五輪」、74年ボクシング「世紀の一戦」と呼ばれたモハメド・アリ対ジョージ・フォアマンのキンシャサの闘いの裏の、独裁者モブツ大統領の思惑。東西冷戦の政治に翻弄された80年のモスクワ五輪と84年ロサンゼルス五輪。更にはカタールでの22年のサッカーW杯の移民<奴隷労働>問題。裏金と人事とコロナで揺れた東京五輪は記憶に新しい。巨大なスポーツ・イベントの闇の深さに慄然とする。
また著者は様々なアスリートやメダリスト、評論家や研究者たちにインタビューを繰り返す。これが実に面白い。元ラグビー日本代表の平尾剛さん(神戸親和大学教授)や女子柔道の山口香さん(筑波大学教授)らの提言には頷くことばかりだし、テレビと巨大イベントに歪んだ関係については本間龍さんの解説が腑に落ちる。ともあれ、本書は口を噤むアスリートたちへの熱いエールに満ちた新書なのである。
(集英社新書1040円)
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