北富士演習場で、手榴弾訓練中の陸自隊員が5月末に被弾死した。岐阜の日野射撃場では昨年、3人を殺傷する兵が出た。演習は戦争ごっこ≠ナはない、敵を殺す能力を新兵に叩き込む場であり、危険と紙一重である。自衛隊のポスターはカッコ良さを演出し、若者らのあこがれを煽る。でも戦場は甘くはない。敵と遭遇したら殺すか殺されるかの世界である。
銃弾も爆弾も大量殺害の手段である。だから軍はそれを扱う殺人のプロを育てる。戦艦も戦車も殺人装置。その最上位にある戦闘攻撃機の輸出を岸田内閣は決めた。明白な憲法違反である。
ウクライナやガザではクラスター爆弾が使われている。50年前に終わったベトナム戦争で登場したこの爆弾(当時はボール爆弾)は何なのか、という解説が日本のメディアの多くで誤っている。
「カプセルから野球ボール大の子爆弾数百が飛散し広域を破壊する。その3割が不発で地雷と化すから非人道的」という説明だ。だが地雷を凌ぐ残虐兵器なのだ。子爆弾は無数の弾丸を内包、爆発で放射状に飛び散る。ビルは破壊できないが、人間は全身に弾を浴びて即死、遠くでも何発かは貫通する。つまり殺害専門の「対人殺傷爆弾」なのだ。非人道性はそこにある(もっとも人道的兵器≠ヘありえないが…)。
自衛隊への応募者が減った。一昨年6月、野田聖子・内閣府大臣は日経日曜サロンで「少子化は自衛官の減少をもろに受ける。国の安全保障、国防にも影響する」と発言、少子化対策を急ぐ狙いが実は将来の自衛官の確保にあることを漏らした。
機密保護法、経済安保法も揃った。だが権力を監視すべき新聞TVはなぜか糾弾を避ける。「防衛力の抜本的強化に関する有識者会議」には読売新聞グループ本社の山口寿一社長が名を連ねている。今年、日本のジャーナリズムの自由度は世界70位へと順位を下げた。先進国中最下位。政権広報機関への転落、という評価なのだろう。
徴兵制をやめた米国では給与を増額、低賃金労働者を誘ってイラクやアフガンに送る兵とした。日本では兵役適齢の市民学生の情報が自治体から自衛隊に渡されている。北海道では、子ども食堂に隊員募集パンフを配布したことも発覚した。貧困家庭のはず、という勧誘である(『週刊金曜日』5月24日号)。
徴兵制がなくとも貧しさがあれば兵は募れる。防衛省は奨学制度の拡大も図る。学生に月5万4千円を貸与し、卒業後に自衛官となれば返還免除。サイバー分野の人材なら幕僚長並みの給与支給が可能だという(「赤旗」1月20日)。その上なんと「戦争(戦死)手当」の導入を検討している。安心して死んでくれ、というわけだ。
戦争遂行の具体的準備が進む。事あれば米・日統合軍司令部のもと、自衛隊が最前線に出る。
日本はまさしく戦争をする国になりつつあるようだ。
JCJ月刊機関紙「ジャーナリスト」2024年6月25日号
2024年07月11日
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