2024年08月22日
【緑陰図書】藤原マキ『私の絵日記』が呼び起こした、水木しげるさんへの想い=萩山拓(ライター)
◆夫と息子の3人家族を描く名作
<藤原マキ『私の絵日記』が、今年、米国の権威ある漫画賞「アイズナー賞」を受賞!>
との情報に接し、あの作品がなんで今頃? と首を傾げた。さっそく書棚の奥にある、つげ義春さんの本の並びから、藤原さんの「ちくま文庫」を引っ張り出した。
藤原マキさんは、漫画家・つげ義春さんの妻で、1999年に58歳で亡くなっている。『私の絵日記』は、マキさん41歳の1982年に北冬書房から、書籍として刊行されている。その後、学研M文庫を経て、2014年2月に「ちくま文庫」に収載された。
『私の絵日記』を開くと、まず巻頭のカラー口絵8ページに惹きつけられる。本文に入ると見開き右ページに200字から数百字の文章、そして左ページにスミ1色で描いた素朴なタッチの線画が1枚、ホノボノとした雰囲気を醸し出す。
息子との愉快な会話や散歩、夫婦ゲンカのこと、みずからの病や夫の精神的不調のこと...日々の想いを綴っている。さらに自分が子どもの頃に体験した情景を描いた絵もいい。巻末には、つげ義春「妻、藤原マキのこと」が収録されている。
再読した今でも、<3人家族の風景>が鮮明に浮かび上がり、私たちの心に響く名作であるのを実感した。それが米国で評価されたのだろう。改めて第一の納得。
◆藤原マキさん『腰巻お仙』で活躍
著者の藤原マキさん、どんな人物だったのか。本書のソデにある略歴に目を通す。1941年、大阪に生まれ、1945年島根県加茂町へ疎開の後、高校時代に帰郷。高校卒業後、関西芸術座で2年間演劇を学び、上京している。
『つげ義春日記』.jpg 東京では劇団「ぶどうの会」「変身」「状況劇場」などで活躍。なかでも代表的出演作には、唐十郎が主宰の紅テント「状況劇場」で上演された『腰巻お仙』の初代お仙役、『由井正雪』の夜桜姐さん役がある。「状況劇場」を退団してから、漫画家・つげ義春さんと結婚、一児をもうけている。
『私の絵日記』で、彼女が描いた1975年頃から80年代前半の生活は、つげ義春『つげ義春日記』(講談社文芸文庫)にも、合わせ鏡のように生き生きと描かれている。これも読んでほしい。もっともっとマキさんの人柄が、身近に感じられるようになる。これで2度目の納得。
◆「アイズナー賞」とは
残るは「アイズナー賞」とは、どういう賞なのか。検索してみると、米国の漫画家であるウィル・アイズナーの活動に因み、1988年に賞が創設されている。36年の歴史を持つ現在、対象となる部門数は39部門にも及び、各部門は出版社および作家が選んだ作品の中から5名の委員によって作品がノミネートされ、最終的に業界人(出版社、作家、代理店、書店)による投票で決定される。
その1部門である最優秀アジア作品には、毎年、日本の漫画家が選ばれているが、その中で2012年に水木しげる『総員玉砕せよ!』、2015年に水木しげる『コミック昭和史』が、2度も選ばれていることを知って、ビックリ! なぜビックリしたかは後で触れるが、現在はともに講談社文庫に収載されている。「アイズナー賞」の歴史に納得。
◆「つげ義春」は健在なり
さて藤原マキさんの夫・つげ義春さんは、どうしているだろうか。現在86歳、老いの身にあれども、しっかり生活しているという。新作はないが、これまでの彼の作品には、どれも愛着がある。時に書棚から引っ張り出して目を通す。異常な猛暑をしのぐには、格好の<緑陰図書>である。
いま私が手にしているのは、『つげ義春が語る 旅と隠遁』『つげ義春が語る マンガと貧乏』の2冊だ。ともに筑摩書房から、今年の4月と6月に刊行された。つげ義春へ過去にインタビューした際の喋りや対談をまとめた本だ。
読んでいて、つげ義春さんと調布のつながり、そして水木しげるさんとのつながり、想いがどんどん膨らむ。
◆水木しげる『総員玉砕せよ!』への想い
私が現役のころ、水木しげるさんの『総員玉砕せよ!』や『コミック昭和史』(全8巻)を講談社文庫に収めるため、調布の「水木プロ」があるお宅に通った月日を思い出す。
そのとき手掛けた水木さんの講談社文庫2作品が、20年近く経て、これまた「アイズナー賞」を受賞しているとは、恥ずかしながら初めて知ってビックリしている。
さて30年ほど前になろうか、1990年代も半ば頃だった。水木さん宅での思い出に戻れば、絵の扱いや装幀などの打ち合わせが一段落し、水木さんと雑談していると、内容が不可思議な体験や夢についての語りが飛び出してきて、なにか煙に巻かれるような感じのまま、時間がたつのを忘れるほどだった。
そして私は水木さんを促し食事に誘うと、「調布には女性も店も、そんなに良いところはないよ、でも落ち着くんだな」と、笑いながら言う。近くのすき焼き店に行けば、旺盛に肉のお替りを頼む健啖ぶりには、目を見張ったものだ。
いま私は猛暑の天を仰ぎ見ながら、「水木さん、天国から、あまり雷を落とさないでくださいね。づげ義春さんも驚くだろうから」と、呟いている。
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