「核燃料サイクルの確立は戦後日本最大の『国家事業』なのであった」。山本義隆氏は最近の著書「核燃料サイクルという迷宮ー核ナショナリズムがもたらしたもの」(みすず書房)の中で書いている。「資源小国」という強迫観念にとらわれた日本の為政者や官僚たちが、世界に伍していくための武器≠ニして縋りついたのが「核燃料サイクル」という妄想じみた計画だったということだ。
山本氏は冷徹な科学者であるとともに、精緻な科学史家でもある。近代日本の科学がいかに軍事と結びついて発展してきたか。本書では、それを辿る。国家総動員のファシズム体制の中に台頭したいわゆる革新官僚≠ニ呼ばれた岸信介ら一群のテクノクラートたちが、統制経済の中核として電力の国家管理を押し進めていく。これがやがて、戦後日本の原子力開発に道を開くことになった。その裏には、岸信介の「潜在的核武装論」があったと著者は指摘する。その上で原子力政策が原発に収斂し、原子力ムラという利権集団と原発ファシズムを生み出すことになった。まことに明快な絵解きである。
我が世の春を謳ってきた原発だが、90年代になると「冬の時代」に入る。それは世界の趨勢でもあった。79年のスリーマイル島原発事故が決定的な打撃となった。さらに2011年3月11日の東日本大震災とそれに伴う福島第一原発のメルトダウン事故は、日本の原発にとっての「死の宣告」になると思われた。だがなぜかゾンビのごとく不気味な復活を遂げる。その中核を担うのが「核燃料サイクル」という虚妄である。
著者は詳細に資料を渉猟してこの国の核政策の破綻を淡々と断罪していくのだ。評者もたくさんの原発関連本を読んできたが、電力国家という面からこれほど精緻に組み立てられた論を知らない。目からウロコとは言い古された言葉だが、まさにそれを経験する。
ところで、山本義隆氏について、本紙の読者ならば知らない人はいないだろうが、もう1冊、どうしても紹介しておきたい本がある。『私の1960年代』(金曜日)で、60年代末の学生反乱を領導した東大全共闘議長としての山本氏のある種の回顧録、もしくは総括本だ。まるで動画のように私の眼前に広がるあの時代、必読の史料でもある。
2024年10月25日
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