JCJ広島支部は9月15日、「2024不戦のつどい」を広島市中区の広島弁護士会館で開いた。今年で48回目を迎えたつどいのテーマとしたのは、8・6広島、8・9長崎の原子爆弾投下から79年になる「被爆地で何が起きているのか」。ジャーナリスト・ノンフィクション作家の高瀬毅さんの基調講演と長崎、広島からそれぞれの「平和行政」をめぐる問題点などの報告があり、オンライン参加を含めて約100人が耳を傾けた。
開会冒頭、挨拶した支部の沢田正代表幹事は「再び戦争のためにペン、カメラ、マイクを取らないというJCJの誓いが改めて必要になっている。先の戦争で原爆という究極の惨禍を知る広島、長崎で今、何が起きているのか。この79年間、核兵器をなくすために続けてきた歩みを途絶えさせず、そして、世界から戦争を根絶するために私たちに何ができるかを考える場にしよう」と呼びかけた。
続いて高瀬さんが「ヒロシマ・ナガサキを問いなおす〜被爆100年に向けて〜」と題して講演。「来年は被爆80年になるが、1年後では被爆地のありようにあまり変化はないだろう。もう少し遠くを見て、時間もかけて考え、被爆の伝え方、語り方、そして被爆地自体のあり方も変えていかないといけないのではないか」と、タイトルに込めた思いから切り出した。
次に、長崎出身の被爆2世である自身は年を取るにつれ、長崎は広島と並ぶ被爆地でありながら同列ではないということを実感していると明かし、広島と長崎の違いに言及。原爆の投下は1発目が広島で、長崎は2発目。常に長崎は広島の後ろや陰にあって、広島に準ずる立ち位置で扱われてきた。時に「ナガサキ」は「ヒロシマ」に含まれて表現されることすらあり、元長崎大教授の高橋眞司さんが長崎を「劣等被爆都市」と呼んだことを「そう言われても仕方ない」と述懐した。
そのうえで、2発目の原爆が長崎に落とされた意味を深く考えてみる必要があると指摘。広島への投下でその年末までに約14万人が亡くなった。原爆の威力は1発でもすさまじいのに、なぜ2発落とす必要があったのか。実験的と政治的という二つの意味があったのだろう。広島はウラニウム爆弾で、つくるまでは大変だが爆発させるのは簡単だったから、何の実験もなくぶっつけ本番で落とした。一方、長崎のはプルトニウム爆弾で、比較的簡単につくれる。爆発させるのは難しいが、破壊力はもっとすごい。加えて量産化しやすいのが最大のメリット。実戦で使用できることが確かめられれば、これで世界を牛耳れる。戦後の覇権を手にし、台頭してくるソ連を牽制することもできる。そのための実験が長崎への投下だったのではないか、と論じた。
そんな広島も長崎も、今や被爆者はどんどん少なくなっている。被爆100年には誰もいないかもしれない。このままでは「ヒロシマ・ナガサキ」のメッセージ力は確実に弱まり、核の絶対否定という理念は損なわれてしまう。被爆者の人たちが直接語れなくなった時に我々はその思いをどう受け継ぎ、伝えていくか。自分たちの被害性だけを強調していてよいのか。世界のさまざまな核被害者に目を向けよう。さらには先の戦争でアジアの人たちに対する加害のことも考えないといけない。加害という言葉に抵抗があるなら、アジアの戦争被害者と日本のあらゆる戦争被害者という視点でとらえ直し、連帯できないか。何より大事なのは被爆地をもっと世界へ開き、繋げていくことだろうと、高瀬さんは結んだ。
JCJ月刊機関紙「ジャーナリスト」2024年10月25日号
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